「リレーエッセイ」は毎月1回更新予定

 

 

いい輪つくろう -65人目の輪-は「文学部 竹村 ますみさん」


2008年11月17日 掲載

中等部のクラスメートだった渡辺君からリレーされ、このエッセイを書くことになった。これまでこのコーナーの作者に数多くの友人を発見し、興味深く読んだものだったが、さて自分となると、ん?ここはひとつ鮨屋の話でもしますか。

専業主婦だった私が45歳で家業の鮨屋の仕事をするようになって9年経つ。もともと亡き父が私が生まれる前からサイドビジネスとして始めたものなのだが、これがなかなかおもしろい商売なのである。「寿し屋の勘八」という名の我が店は昭和40年、50年代にたくさんののれん分け独立店を輩出した。それというのも勘八の職人修行は厳しいことで有名で、結果、店の雰囲気はきりりと引き締まり、粋と威勢の良さで多くの優秀なすし職人を作ったのである。そして彼等は一人前となって独立し、「勘」の字を持って自分の店を次々とオープンさせていった。

父の作った「私達の信条」を紹介させていただくと「1清潔で礼儀正しく 1新鮮なおいしい鮨を 1納得戴けるお値段で」ということになる。当たり前でいて難しいこのスローガンで、たぶん初めは荒くれ者?の多い職人さん達を判りやすく導いていく手段にしたのだろう。おかげでよその鮨屋に入ってもそこの職人さんが勘八系の出身だとピンと来る。ぴしゃっと伸びた背筋、「はい、かしこまりました!」というはきはきした返事、豊富で美味しい小鉢のつまみ。「どこで修行したの?」と聞いて勘八系の鮨屋と判ると「やっぱり!」と嬉しくなってしまう。

ただ昨今まわる鮨屋の台頭や若者の気質の変化で、なかなかこの熱い「カンパチイズム」を伝えていくことが難しくなっている。それでも鮨は誰にも愛される世界に誇る国民食、なんとか続けていかなければと思う今日この頃である。

さて自慢はこのぐらいにして、この仕事で楽しいことをもうひとつ。それは慶応OBとの出会いである。うちの店は銀座を本店として丸の内、大手町を中心に展開しているので顧客になんと身近な知り合いの多いこと!店を回っていると、ふらり入ってきた見覚えのあるお客様は35年ぶりの中等部同期のK君ではないか。はたまた座敷で接待らしき会食をしているのはM君、カウンターで銀座のきれいどころと肩寄せ合っているのはS君だわ。これはそっとしておこう・・・。顧客リストには先輩後輩数多の名。卒業以来会う機会のなかった憧れの先輩も店でお見かけすることができたし。あー皆さん御活躍なのね。

一方、掛け売り上げをどっさり残して行方不明、その後テレビでお縄になったことを知るなんてお客様もいるけれど幸い慶応ではない。

そんな中、お得意様が118三田会と判ってびっくりという逆バージョンもあり、それが今回リレーを繋ぐ法学部の萩原君だ。判ったとたん「おー山口!(私の旧姓)」「萩原君」と旧知の友のように呼び合うようになった。そこが慶応のよいところ。本当は大事なお客様ごめんなさい。では世界を相手にバリバリ仕事するビジネスマン萩原君へバトンタッチ!

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