「70年代の音楽シーン」は毎月1回更新予定

 

 

近藤 雅和(法律卒)

【No.22/女性ヴォーカルの演技力】04/13掲載

 劇団四季がロングランしているブロードウェイ・ミュージカル「マンマ・ミーア」で歌われるのは、スウェーデン出身のグループ:ABBA(アバ)のヒット曲。男性2名、女性2名のABBAと同じ構成だったのがママス&パパスで、「夢のカリフォルニア」(California Deamin')とか「マンディ・マンディ」がヒットした。60年代後半を代表するヒットを飛ばし、ヒッピー文化の象徴であるモンタレー・ポップ・フェスティバルを生み出したけれども、実際は68年頃には解散状態だったらしい。軽快なロックのリズムと、フォークのメッセージ性をもっていて、"フォークロック"などと呼ばれていた。

 メンバーのなかで目立っていたのは、立派な体格だった女性:キャス・エリオット。グループ解散後も、4人のなかではもっとも盛んにヴォーカルとして活動していたのに、74年に糖尿病にともなう心臓病で急死してしまう。33歳の若さだった。 

 もう一人の女性ヴォーカルだったミシェル・フィリップス(44年生まれ)は女優に転進。ギャング映画の「デリンジャー」(73年)ではゴールデングローブ新人賞にノミネートされたし、サイレント時代の映画界を描いた「バレンチノ」(76年)ではセミヌードを披露。最近のTVドラマ「ビバリーヒルズ青春白書」にも出演していたという。そういえば、「イージーライダー」(69年)を監督・主演したデニス・ホッパーと結婚したこともある。

 もっと女優として成功したヴォーカルは、夫婦のデュオだったソニーと シェール(46年生まれ)。60年代半ばから「アイ・ゴット・ユー・ベイブ」 などをヒットさせつつ、シェールはソロでも「バン・バン」がビルボード誌 のランキング2位まで上昇した。子育てと歌手活動の板ばさみに苦しむと いったシェール自身の伝記映画が後に制作されたほど、この頃のシェールは 過労とストレス状態が続いていたようだ。

 70年代には「悲しきジプシー」がヒットしたが、すでに女優業が忙しくな り、多くの映画に出演している。たとえば、プルトニウム工場の疑惑をあば く映画「シルクウッド」(83年)でゴールデングローブ助演女優賞、奇病の 少年の実話を映画化した「マスク」(85年)ではカンヌ映画祭の主演女優賞 を獲得。そして、NYのイタリア一家を描いたコメディ「月の輝く夜に」 (87年)でアカデミー主演女優賞の栄冠に輝いた。娘よりもセクシーな母親
役をコミカルに演じた「恋する人魚たち」(90年)でも熱演している。

 同じく、グループ出身で映画でも活躍した女性ヴォーカルといえば、女性3 人によるシュープリームスのダイアナ・ロス(44年生まれ)だ。64年に「愛 はどこにいったの」がビルボード誌のトップになる大ヒットを飛ばすと、66 年の「恋はあせらず」と「恋はおしまい(You keep me hanging on)」、翌 年の「恋ははかなく」と「恋にご用心」も同誌のトップとなった。ソウルの 名曲を数多く送り出したモータウン・レコードのスターのなかでも、シュー プリームスはスティービー・ワンダーとマーヴィン・ゲイと並んで三大スターとなっていた。

 そして、68年に大ヒットした「ラブ・チャイルド」の頃から、ダイアナ・ロスとシュープリームスと表記されていたと思う。このタイトルは「私生児」を意味し、スラム街で暮らす人たちの厳しい状況を暗喩していた。ポップでリズミックな曲調だけど、彼らの叫びを表現した一種のプロテスト・ソング といえる。

 ダイアナがシュープリームスから独立してソロシンガーになると、映画の出 演が多くなっていく。往年のジャズ歌手の半生を描いた「奇妙な果実 ビリー・ホリディ物語」(72年)では、アカデミー主演女優賞にノミネート。

この年は、ファシズムが台頭していた30年代初頭のベルリンを舞台にしたミュージカル映画「キャバレー」に主演したライザ・ミネリ(46年生まれ)がオスカーを奪ってしまった。

 ライザといえば、母親がミュージカル+映画スターだったジュディ・ガーラ ンドで、「オズの魔法使」(39年)や「スアー誕生」(54年)が代表作。母の遺伝子を受け継いだ娘は、20年代を舞台にした冒険コメディ「ラッキー・レディ」(75年)や、40年代のショウビジネス界を背景にしたラヴストーリーの「ニューヨーク・ニューヨーク」(77年)でも歌って演じていた。

 そういえば、90年代後半のライザは病気のために引退状態だったが、数年前 にみごと復活。奇跡のカムバックを果たしたニューヨークでのコンサートはCD化され、感動の模様が伝わってくる。このステージではフランク・シナトラらが歌い、ライザの持ち歌になっている「ニューヨーク・ニューヨーク」を絶唱しているし、母親が「オズの魔法使」で歌った「虹の彼方に Over the Rainbow」も熱唱している。

 ダイアナに戻ると、「ビリー・ホリディ物語」はモータウン・レコードの社長ベリー・ゴーディがプロデュースしたのだが、次の主演作「マホガニー物語」(75年)ではゴーディが監督も務めた。そして、傑作ミュージカル「オズの魔法使」を現代のNYのハーレムを舞台にオール黒人キャストでリメイクした「ウイズ」(78年)にダイアナは主演。ジュディが演じたドロシー役をダイアナはみごとに演じて歌った。なお、ブルック・シールズが主演したラブロマンス「エンドレス・ラブ」(81年)の主題歌はダイアナとライオネル・リッチーが歌い、映画以上にヒットした。

 だれかが"歌は3分間のドラマ"と言ったそうだが、歌手はこのドラマの主演者だ。"すぐれた歌手=すぐれた俳優"とは限らないが、この四人の歌手=女優は"歌うように演じ、演じるように歌った"。歌いながら演技力を磨いていたから、歌手としての才能を女優としても活かすことができたのだ。
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近藤雅和 EZY10075@nifty.ne.jp

工房オーパス:代表……出版企画・執筆をしています。
コミュニケーション工学研究所とコーポレートデザイン研究所に所属。
主な著書:「縮小経済は企業淘汰の時代」「クルマの価値」「ブロードバン ドビジネスのしくみ」「ビジネスを活かす101の法律」「デフレに活路を拓く 術」など
“テーマを決めて資料を探し、取材をしながら構想し、原稿を書く”……
これが私の仕事というか生活。問題は、多くの第三者が興味をもってくれる か? ……つまり売れるか? という点で、かなりシビアです。
最近、ビジネス書のほかに歴史小説や経済小説を書いてます。

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