02/11/29 掲載
■ファッションモデルという存在
「許さないぞ、直美」と怒鳴る父親に背いて出ていった娘がドアを開けて帰ってくる。スタイル抜群の黒人女性である。「誰?」と問う父親に「ナオミよ」と答える、ナンセンスで笑えるエステのCM(博報堂の黒須美彦さんの仕事だったはず。名作です)でナオミ・キャンベルは日本でもすっかり有名になった。一般的レベルで有名になった唯一のスーパーモデルではないだろうか。
先日、久しぶりにヴォーグ・ニッポンの新聞15段全面広告にナオミ・キャンベルが登場した。まだまだ魅力的だが、やはり年齢を加えたのがわかる。手元にあるデビュー当時の写真を見ると本当に若くて、美しいというより可愛いと形容したい感じだ。
しかし、スーパーモデルにも一時の勢いはなくなった。クラウディア・シーファー、シンディ・クロフォード(確か女優デビューした)、リンダ・エヴァンジェリスタ(夜中に宝石屋のスポットCMにやたら出ていた)などなど、抜群のスタイルと容貌で様々なメディアに登場していたが、最近はあまり見かけない。
個人的には、僕が作った『プロフェッショナル・デジタルフォト』というムックの口絵に出てくれたクラウディア・シーファーが好きだったが、彼女も全く見かけない。ヨーロッパあたりの金持ちと結婚した話も聞かないし、引退してモデル・エージェンシーを始めたなどという話はもちろん聞かない。
美しさを消費されるモデルは、稼げる年数は短い。短期間でたっぷり稼ぎモデル・エージェンシーを開く、というのが金持ちと結婚できなかったモデルの正しい人生設計(?)である。モデルクラブやキャスティング会社に女性の社長が多いのは、それが理由だ(と思う)。仕事柄、そういう人に会うこともあるが、彼女たちは人に見られることを仕事にしていたからか、何となく雰囲気が違う。
『パリの恋人』という映画がある。ファッション雑誌がモデルを作り上げ、パリコレにデビューさせるというのがメイン・ストーリーの映画だ。1957年の制作。オードリー・ヘップバーンとフレッド・アステアが主演した。オードリーの相手役は、いつも年寄りばかりだが、この時もオードリー27歳、アステア57歳である。もっとも、さすがにアステアのダンスシーンに歳は感じない。見事な動きだ。
原題は『ファニー・フェイス』でブロードウェイのヒット・ミュージカルである。ジョージ・ガーシュインとアイラ・ガーシュインが作った。このミュージカルから『スワンダフル』というスタンダード・ナンバーが生まれている。ジャズメンもよく取り上げる名曲だ。
もっとも、映画はガーシュイン兄弟のミュージカルのタイトルと曲を借用しただけで、オリジナルストーリーであるらしい。監督はスタンリー・ドーネン。名作『雨に唄えば』を作ったミュージカルの得意な人だ。
タイトルバックは、ビュアーの上に載せられた4×5や8×10サイズのカラーポジフィルム。写っているのはファッションフォト。リチャード・アヴェドンの作品である。彼はこの映画の色彩設計も担当した。当時、アヴェドンが仕事をしていた『ハーパーズ・バザー』の編集部が協力したという(ずっと僕は『ヴォーグ』編集部がモデルになっていると思っていたのだが)。
映画はファッション・マガジン『クオリティ』の編集長室から始まる。古強者らしい女性編集長が編集部員を集めて、校正紙をまとめた束を持ち「こんな雑誌は読者への裏切りよ」と怒鳴る(僕も一度やってみたいものだ)。さらに「今年の流行はピンク」と宣言して成功する。次に彼女が企画したのは「ファッションに関心を持たない知的な女性のためのファッション」である。
次のシーンはアステア扮するファッション・フォトグラファーのスタジオ。おそろしく足の長いスタイル抜群のモデルがポーズをとっている。アステアが「次はブラームスにして」と背後に言う。4人の室内楽団が生でBGMを演奏するゴージャスさだ。アヴェドンがアドバイザーになっているのだが、もしかしたらアヴェドンは生のBGMを実際にスタジオに流していたのかもしれない。
このシークェンスに登場したモデルがスージー・パーカーである。1950年代、最も有名だったモデルだ。海野弘さん(愛読しています。『マリ・クレール』で連載した『プルーストの部屋』の単行本は高くて買っていませんが)の本『黄金の50年代アメリカ』(講談社新書)によれば……
「スージー・パーカーは50年代のアメリカのモスト・フェイヴァリット・モデルであった。10年間に『ライフ』をはじめとする60以上の雑誌のカバーガールとなり、数千の広告に登場したと言われる。彼女は『ハーパース・バザー』のファッション・フォトグラファーであったリチャード・アヴェドンのモデルとなり、あっという間に50年代で最も売れっ子になった」
しかし、僕はアヴェドンの名前は仕事柄(というか学生時代から写真雑誌を読んでいたので)知っていたが、スージー・パーカーについては知らなかった。スージー・パーカーが活躍したのは、ほぼ10年間。『パリの恋人』では、頭の空っぽなモデルを演じていたが、本当はカミュやサルトルを愛読する才媛だったらしい。
『パリの恋人』のオードリーの役は、もしかしたらスージー・パーカーがモデルなのだろうか。哲学娘の書店員ジョー(オードリー)はパリに行けるというので、ファッション雑誌『クォリティ』のモデルを引き受ける。パリのカフェで共感主義の哲学教授に会うのが夢なのだ。これはもちろん実存主義のサルトルがモデル。サンジェルマン・デ・プレのカフェ・ドゥ・マゴの2階にはサルトルの指定席があったという。
僕もサンジェルマン・デ・プレのカフェ・ドゥ・マゴには一度行きたいと思っている。サルトルを偲ぶというより、『深夜プラスワン』のムッシュ・カントンことルイス・ケインに敬意を表したい。名作ミステリ『深夜プラスワン』はドゥ・マゴから始まるのだ(渋谷の東急文化村にできた支店には一度行ったが、ずいぶんスカしたカフェで好意は持てなかった)。これは余談。
日本にもパリコレに出るような国際的なモデルは何人かいた。山口小夜子さんが活躍したのは70年代だったと思うが、現在、がんばっているのは川原亜矢子だろう。吉本ばなな原作の映画『キッチン』でデビューしたのが17歳くらいだったが、その後、モデルとしてパリコレ・デビューした。
元々モデルだったようだが、一度女優デビューして再びモデル修行をした人は珍しい。最近はJR東日本や旭ペンタックスのCMやポスターに登場しているけど、あの足の長さ、スタイルの良さは奇跡的だと思う。
モデルという職業は、自分の容貌やスタイルを消費される存在である。自分自身をアピールするより、身につけたファッションやメイクを魅力的に見せる役割を担う。
どんなに有名なモデルであってもそれは同じことで、無名性を期待される部分がある。そこが女優とは決定的に違う。一種の無名性であることを期待されるモデルは、仕事を辞めてしまえばスージー・パーカーのように人々の記憶から消え去ってしまう。
1960年代末に『装苑』によく登場したモデルがいる。大倉瞬二さんや斎藤亢さんが写真を撮っていた。名前は森和代。芥川賞受賞作の『赤頭巾ちゃん気をつけて』(1970年・東宝)で映画デビューし、『初めての旅』(1971年・東宝)に何シーンか出演し、森本レオと結婚して引退した。今も記憶に残っているのは彼女がモデルという記号的かつ抽象的存在から、女優という実存的肉体に移行した後に引退したからだと思う。
ちなみにスーパーモデルと呼ばれるための条件は、年間に稼ぐギャラの額が億を越えることだと聞いたことがある。何億か、何十億か、円かドルかはわからない。まあ、美しさを大衆社会に消費され忘れ去られたとしても、それだけ儲けられればいいですよね。
■1999年10月
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、すでに二十数年勤める。現在は隔月刊のアマチュア向けカメラ誌編集長。
================================================================
筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】No.0449 1999/10/23.Sat.発行より転載
「日刊デジタルクリエイターズ」サイトにバックナンバーはすべて掲載しています
http://www.dgcr.com/
|