118いい輪
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03/01/03 掲載

■「見果てぬ夢」を見続けるせつなさ

ハリウッド映画を見ていると、わりあい頻繁に「Dream Come True」という言葉が使われるのに気付いた。

昔から使われていたのかもしれないが、気になるようになったのは、例のミュージックトリオが登場して以来、その名前が頭に残っているからだろう。「夢が本当になる=夢が実現する」と訳すのが近いのだろうが、「夢は叶う」と僕は訳している。

夢、という言葉は安易に使われている気がしないでもないが、未だにどこかロマンチックな気分を醸し出す。また、「夢を持っている」ことが免罪符に使われたり、口説き文句に使われたりすることもある。

少し前のことだが、ドイツだったかで子供が本物の電車を運転して事故を起こした。怪我人が出なかったこともあったのだろうが、「将来は電車の運転手」というその子の夢も一緒に紹介されており、その記事はどちらかといえば好意的に書かれていた。

しかし、これが単なるいたずらだったら、受け取られ方は違ったはずだ。ここには「電車の運転手になるのが夢」である子供がやったことだから……という免罪の効果が働いている。

こんなシチュエーションもよく使われる。たとえば、売れないロック・ミュージシャンの恋人を親に紹介した娘と両親の話し合い。

父「あんなカッコして、ふらふらしているような奴は駄目だ」
娘「彼には、いつか六本木にライブハウスを持つという大きな夢があるのよ…」
母「あの年で、そんなきちんとした夢を持っているなんて感心じゃないですか」
父「夢だけじゃ食えないんだぞ」
母「でも、目標のない人よりいいと思いますけど」
娘「そうよ、私は彼の夢の実現のために一緒にがんばるわ」

最近の父親は「父さんみたいに夢をなくした人にはわからないのよ」などと娘に言われるのを恐れて、腰が引けている。「夢があるのよ」というのは、葵の印籠ほど効き目はないかもしれないが、それに近いものになっている。

それまで嫌っていた男が自分の夢を語り、それをきっかけにしてヒロインが惹かれ始めるという設定はドラマなどでもよく使われるシチュエーションだ。

ここには、夢を持つ人=純粋な人、という無前提的かつ無批判な定理が存在し、たとえば、パンク兄ちゃんのようなカッコをして登場してきた人物が「夢を語る」ことで、見かけとは違う純粋な人だったのだと見直されるという通俗的パターンが成立する。(これは、見かけで判断する方が悪いと思うけど)

したがって「あなたの夢は?」と聞かれて、すぐに答えられない人、「ないなぁ」などと答える人は、ちゃんとした目標のない人、無気力な人、日々を無目的に流されている人という烙印をおされ、先程の父親のように「夢を持っている若者」を認めない人などは、現実的な人、打算的な人、夢が理解できない俗物として否定される。

「夢を持つ」ことが奨励され、そのことの価値が高まったのは戦後の民主教育の結果だと思う。個性を伸ばす、夢を持たせる、そのことは管理教育に対するアンチテーゼとして提唱され、妙に過大評価されている。(教育とは一定の標準的型にはめることだから、個性を伸ばすこととは概念矛盾を起こすと思うが)

しかし、どんな境遇にいても「夢を失わないこと」は、昔から日本人の琴線に触れる部分であるのかもしれない。どんな境遇に堕ちたとしても……「俺には夢がある」のである。

高倉健は「唐獅子牡丹」の中で「やがて〜夜明けのくるそれまでは〜意地で支える夢ひとつ」と歌い、渡哲也は「東京流れ者」の中で「夢はいらない〜花ならば〜花は散ろうし夢も散る」と歌う。哲也が「夢はいらない」と歌うのは、夢を持っているからだ。「どうせ俺の夢なんて叶うわきゃないんだ」という自嘲なのである。「散る夢ならいらねぇや」という強がりなのである。

若者たちは安易に夢を語る。それが彼らの特権だとは思う。夢が叶う可能性は、まだまだ彼らにはあるのだ。夢が叶わないのだと知りながら、「いつかよう」と夢を捨てきれないで生きていく切なさを理解するためには、長い長い年月を経なければならないのかもしれない。

夢が叶わないことを確信しながら夢を持ち続けること、夢を捨てきれないこと、そのことの切なさに昔から共感してきた。苦い現実を知りながら、「そんなことあるはずねぇ」と思い知らされながら、それでも夢を持ち続けること、「俺には夢がある」とつぶやきながら現実に負けまいとする人々に僕は共感してきた。

渡哲也の人斬り五郎シリーズ2作目「大幹部・無頼」(1968年・日活)のセリフ。「俺はやくざだ。それも銭で雇われたど汚ねぇやくざだ。〜中略〜だがな、いつかよう、どっかでなんかが起こってよ、まともな暮らしに戻れねぇもんでもねぇ。そんなことを空頼みにしている。そんなことあるもんかよ、そう思っちまったら人間おしめえだよ」

やくざな境遇に堕ちても、いつか堅気になる夢を捨てない藤川五郎は素敵だ、と僕はいつ見てもこのシーンで涙ぐむ。このセリフを書いたのはシナリオライターの池上金男、現在、時代小説家として活躍している池宮彰一郎である。

もうひとつ、中村錦之助の「関の弥太っぺ」(1963年・東映)からのセリフ。「この娑婆にゃあ、悲しいこと辛えことがたくさんある。だが、忘れるこった。忘れて日が暮れりゃ、明日になる」

ここにも、苦い現実認識を持ちながら、それでも諦めずに「何か」を求めている、見果てぬ夢を見ているひとりのやくざがいる。

そう、「見果てぬ夢」である。この言葉を知ったのは中学生の時だった。誰のレコードかは忘れたが、曲のタイトルだった。1965年にブロードウェイで初演された「ラ・マンチャの男」のテーマ曲である。セルバンテスと彼が書いたドン・キホーテの物語が交錯するミュージカル。1972年にピーター・オトゥールとソフィア・ローレン主演で映画化された。

「見果てぬ夢」を追い続けて死んでいったドン・キホーテ。しかし、「見果てぬ夢」の原題が「The Impossible Dream」だと知った中学生は、複雑な気持ちになった。「不可能な夢」と直訳すると、「見果てぬ夢」という言葉が持つニュアンスはまったくなくなる。

「見果てぬ夢」は「不可能な夢=実現しない夢」ではない。「叶うことはないかもしれないが見続けないではいられない夢」なのだと思う。この「見続けないではいられない」ということが、人間に与えられた業なのだ。

僕は「夢が実現しないのなら、夢を見る能力なんて欲しくなかった」と思ったことがある。だが、不幸なことに、人間には見果てぬ夢を見続ける能力が与えられてしまったのである。

「夢を捨てきれない悲しみ」を思うとき、思い出す小説がある。中島敦の「山月記」(1942年)だ。詩人となる志を立てた李徴は、志を得られないまま屈辱と貧窮の中で狂し、虎となって友を襲う。その虎の告白には「夢を見ずにはいられない」人間の悲しみが溢れている。

■1999年11月27日号

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、すでに二十数年勤める。現在は隔月刊のアマチュア向けカメラ誌編集長。

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筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0477  1999/11/27.Sat.発行より転載
「日刊デジタルクリエイターズ」サイトにバックナンバーはすべて掲載しています
http://www.dgcr.com/

 

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