118いい輪
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03/01/17 掲載

■犬に噛まれる

──犬が人を噛んでもニュースにはならないが人が犬を噛めばニュースになる。

誰がそんなことを言ったのかは知らないが、きっと犬に噛まれたことのない奴に違いない。犬に噛まれた人間には深い深い心の傷が残り、一生、犬に近寄れなくなる。人生における一大事なのである。

こう書くからには、もちろん犬に噛まれたことがある。自慢じゃないが妻も子供もいる30半ばになってからのことだ。幼い頃に父親が犬に噛まれるというトラウマを背負った我が家の子供たちは、すっかり犬を怖がるようになってしまった。(あんたが噛まれた噛まれたと騒ぎすぎたのよ、とカミサンは未だに非難する)

当時、僕は太り始めた体を恥に思う心がまだ残っていた。中年に向かって確実に、僕の腹はせり出し始めていた。「人生の堕落は腹の出具合に比例する」というのが口癖だった人間としては、堕落した中年にならないためにも体重を落とさなければならなかった。何をすればいいか、と考えてジョギングをすることにした。

走るのは苦しいが得意だった。運動神経に後れをとる人間としては、唯一、誇れるのが長距離走だった。中学の体育の時間に初めてクラスでトップをとったのが1500メートル走だった。

高校でも8キロの山道もあるロードレースで、450人中50位以内に入る成績を2年間続けた(あまり大したことはないけど)。3年のロードレースでは、1年の時にふられた女生徒が沿道から大声で声援してくれた思い出がある。

高校を卒業して15年近くたち、再び「走ろう」と決意した。カムバックを決意したマラソンランナーのように、僕は誓ったのであった(というほど大げさなものじゃないけど)。そこで、朝日新聞社から出ていた「42.195キロへの道」という本を買ってきた。

1年かけてフルマラソンを走るためのプログラムがそこには書かれていた。1日目のメニューから365日間のプログラムが載っており、それに従ってこなしていけば「1年後、あなたはきっとフルマラソンが走れます」と保証していた。走る有名人や読者たちのインタビューが間に挟まれていて、読み物としてもよくできていた。

スタートした。一日目は走らない。早足で5分間、歩くだけだ。次の日は7分間、さらに次の日は10分間、4日目は休息、5日目に軽くジョギング、というように徐々にメニューは増えていった。

コラムの中にランナーズ・ハイについての話が出ていた。「走り始めて3ヶ月めに入った頃でしょうか。突然、私はランナーズ・ハイを感じたのです。足立区・Aさん・34才」などという体験談が載っていたのである。ああ、一度、ランナーズ・ハイの状態に入ってみたい、と思った。

当時、僕は誘われればつきあったが、ほとんど酒を飲んでいなかった。クスリもやっていなかったから、ハイになったことがない。どちらかといえば憂鬱症で人見知りが強く、ふさぎの虫に取り付かれていることが多かった。一度、解放されたハイの状態になってみたいものだと切望した。

そのせいか、ジョギングは持続した。夜も仕事が終わればすぐに帰り、11時くらいでも走りに行った。基本的には朝走ることにしていたが、毎朝、走れないこともあったのだ。3ヶ月めに入り、一日に走る距離も8キロに増えていた。8キロ走るとなると、時間もけっこうかかる。しかし、それだけ続ければ習慣になり、走れない日があると気持ちが悪くなった。

そんな冬のある夜、確か10時半くらいだったと思う。東京都の外れ、もう少しで埼玉県という所にすんでおり、周りにはところどころ野菜畑などが残っている地域で、運河沿いに走り住宅街を抜けて帰って来るというのが、その日予定したコースだった。あまり人通りはない。といって、そう物騒なコースでもない。本来なら何事もなく終わる一日だった。

住宅街に入り、角を曲がった瞬間だった。道路の真ん中に犬がいたのだ。こちらも驚いたが、向こうはもっと驚いたようだ。何しろ、冬の夜のことだから、頭には毛糸の耳当て、おまけにフードを被っている。

犬は、身構えている。やばい、と思った。このまま背中を見せればやられる、と直感した。ノドを噛み破られる己の姿が浮かんだ。悪いことにスティーブン・キングの狂犬小説「クージョ」を読んだばかりだった。死ぬ、背を向ければ死ぬ、と確信した。幼い子供たちの顔が浮かんだ。お父さんがいなくなっても立派な人間になるんだよ、と死を覚悟してつぶやいた。

ジリッ、ジリッと僕は後退した。視線は外さない。相手も固まっていた。「バカヤロー、放し飼いにするんじゃねぇー」と、ようやく飼い主に対する怒りが湧き起こってくる。犬は首輪をつけている。誰かの飼い犬だ。自分が犬好きだからって世の中の全員が犬好きじゃない、ということをほとんどの飼い主は自覚していない。

公園で大きな犬を放しているおばさん。小さな子供が怖がっているのに、「大丈夫よ、うちのルルちゃんはおとなしいから」などとニコニコしている。ライダーキックをいれたろか、と思う瞬間である。断っておくが、僕は犬好きを非難しているのではない。「他人は自分と違う」ことに無自覚な、「うちの子に限って」と思いこんでいる盲目的で、どうしようもなく鈍感な人間を非難しているのである。

さて、僕は角まで後退した。パッと身を翻して、一目散に走ろう、と決意した。息を吸い込み、瞬発力に備える。視線を犬からギリギリまで外さない。今だ、と声をあげ、身を翻した。

その瞬間、僕は太股に衝撃を感じた。ワン、と一声あげた犬が飛びかかり、噛みついたのである。ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア〜という己の悲鳴が、凍って澄みきった冬の夜空に響き渡った。このまま倒されたら死ぬ、と思った。後は、一目散である。

どおくまん作「嗚呼、花の応援団」の主人公、青田赤道が逃げる時のように、僕の両足はきっと回転して見えたに違いない。擬音を入れるなら「ピューウ〜」である。自宅のマンションが見え、階段を駆け昇り、ドアを閉めてから「ハアハア」と息をした。玄関脇に風呂場があり、物音に驚いたカミサンが浴室から顔を出した。

「どーしたの?」と聞くが、こういう場合、妙に間が抜けて聞こえてしまう。「か、か、噛まれた」「何に」「い、犬」という会話の後、カミサンは笑い、一緒に顔を覗かせていた娘は泣き出した。しかし、僕がスエットパンツに空いた2本の犬歯が作った穴を見せると、さすがに真顔になる。恐る恐るスエットパンツを脱ぐと、見事な傷が現れた。

悲惨だったのは翌日である。まず、近くの医者に行った。「どうしたんですか」と医者に聞かれて「犬に噛まれました」と答えると、医者はおろか看護婦までが声をあげて笑ったのである。アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ、というくらいひとしきり笑った後で何と言ったと思いますか。僕はあれから医者を信じない。

──あんた、何か変なこと、したんじゃないの。
「いえ、ジョギングしていただけです」と僕はムッとして答える。まあ、見てみようということで、スーツを着たままズボンだけをずりさげた。亭主が帰ってきたので慌てている間男のようだ。間抜け、である。

「ひどい傷だねぇ」と医者がいい、いきなり、麻酔なしで傷の中に細い針金のようなものを差し、糸くずなどを取り出す。激痛が走った。「深いねえ」と言う。所詮、医者にとっては他人の傷だ。「まあ、狂犬病の危険はないと思うけどね」と、医者は言って消毒した。それから1週間、僕は毎朝、その医者の前でズボンをずりさげなければならなかったのである。

その日は、カメラ記者クラブの例会日だった。カメラ雑誌のメカ担当記者が集まり、各メーカーが新製品を持ってきて発表するのである。僕は、当時「フォトテクニック」というカメラ雑誌の編集部にいて、毎月、担当者として出席していた。そこへ、僕は足を引きずりながら出席した。

「どうしたの」とみんなが聞く。「ジョギングしていて犬に噛まれました」と言うと、全員がアハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ、というくらい笑った。

人の不幸は蜜の味。

このときに笑ったほとんどの人が、現在、カメラ誌の編集長になっている。

当然のことだが、ジョギングは医者に禁止された。1ヶ月はやめなさい、と言う。しかし、1ヶ月後、僕はもうすっかりジョギングする気力をなくしていた。孤独に自死したマラソンランナーの遺書の言葉が甦ってきた。

──××おいしゅうございました。もう走れません………

■1999年12月11日号

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、すでに二十数年勤める。現在は隔月刊のアマチュア向けカメラ誌編集長。

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筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0489  1999/12/11.Sat.発行より転載
「日刊デジタルクリエイターズ」サイトにバックナンバーはすべて掲載しています
http://www.dgcr.com/

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