118いい輪
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03/05/23 掲載

十河 進


■人間が一番恐い?

僕はへそ曲がりであるらしい。長年連れ添った妻がことあるたびにそう言うから間違いないのだろう。彼女は16の歳の僕から知っているのだが、昔から僕はへそ曲がりだったと主張する。

へそ曲がりではない、と僕は反論する。安易に権威や権力にひれ伏さないだけである。人々が群がるもの、強いものや売れているもの、恵まれたものや流行のもの、そういうものに無批判になびかないだけである、と僕は言う。

自民党が嫌いである。前衛政党の代表のような顔をして、権威になってしまった日本共産党が嫌いである。だいたい政治家が嫌いである。加えて、組織が嫌いである。巨人が嫌いである。大ヒットした「タイタニック」(1997)が嫌いである。

逆に、マイナーなもの、不遇なもの、恵まれないもの、弱いもの、挫折したもの、そうしたものに肩入れする傾向はある。ソニーから発売になり消えてしまったLカセットには、未だに懐かしさを感じる。志半ばに殪れた休刊誌には、心から共感する。

「単なる妬みよ。僻み根性が強いだけ。多くの人がいいと言うものは、やはり、それだけの魅力があるのよ」と妻は言う。本質を衝かれた気がしないでもないが、それだけではない、と心中深く反論する。しかし、言葉に出すと泥沼状態になるので、じっと我慢する。

ジャズ・ミュージシャンにも不遇な人がいる。リーダーアルバムを3枚しか出せずに死んだ人、売れなくてイエローキャブの運転手をしながら糊口を凌いでいた人もいる。CD紹介でそんなことが載っていると、まあ、必ず買ってしまう。

しかし、音楽の場合、多くの人がいいと言うミュージシャンは、やはり魅力的だ。ビル・エバンスがいい。キース・ジャレットがいい。ジョン・コルトレーンがいい。マイルス・デイビスも…やっぱりいい。

ほら、僕はいいものはいい、と言う度量は持っているでしょう。やみくもにヒットした映画や音楽を否定しているのではない。何も妬みや僻みで言っているわけではない(と、ひとり虚しく反論する)。

「タイタニック」は、大ヒットしたから嫌いなのではなく、映画として評価できないからであるし、「もののけ姫」(1997)は同じテーマを扱った「風の谷のナウシカ」(1984)の方がずっと優れており、焼き直しに過ぎないから誉めないのであって、決して大ヒットしたことが理由ではない。

そんな、へそ曲がりの僕が「グリーンマイル」(1999年)を見て、泣いてしまった。

「タイタニック」のラストで泣かないばかりか「ひとりだけ100歳以上も生きて勝手に懐かしみ、今更ネックレスを海に捨てるなんて、いい気なモンだな」と憎まれ口を叩き、妻と娘から「冷血漢!」と叫ばれた身としては、そこここですすり泣きが始まった時には、やれやれ、と強がったが、いつの間にか涙が僕の頬を伝っていた。

だが、世の中には僕以上にへそ曲がりな人間がいると、その1週間後に思い知らされた。

「出版人の映画の会」という集まりに出席していることは以前にも書いた。この会は、13、4年続いているのだが、一人のメンバーが課題映画を決め、2カ月に1回集まって、酒を呑みながらその映画について、ああでもないこうでもないと言い合うだけのもので、たわいのない趣味の会である。

僕は年に2、3回顔を出しているのだが、前回出席したら「今度の課題映画はあんたが選べ」と言われて「グリーンマイル」を指定した。同じ原作者・監督で作った「ショーシャンクの空に」(1994年)がとても好きなので、期待していたのだ。

さて、例会当日、僕は唖然とした。僕以外、誰も「グリーンマイル」を誉めない。挙げ句の果ては「泣いたなんて、冗談でしょ。どこで泣くの」とトドメを刺された。

まず、Aさん。数年前に小学館を定年退職すると同時に自宅を新築して映写室を作り、ビデオコレクションを数千本保有する元・出版労連委員長である。退職後は、映画三昧・海外旅行三昧という羨ましい日々を送っている。

Aさんは「あんなファンタジーみたいな、非現実的な、超能力みたいな話は好かん」と言う。「もっと現実を描いた映画じゃないと」ときた。さすが元・出版労連委員長である。超現実的な設定が駄目なら、キングとの接点はどこにもない、この映画を見たのが間違いです、と僕は心中深くつぶやいた。

続いてIさん。児童書の出版社に勤め、絵本などを編集しているわりには、意外な趣味で、以前に黒沢清の「キュア」(1997)を課題映画に指定し、多くの出席者から非難を浴びながらも「いや、なかなかいい映画だ」と頑張った実績を持つ人である。

Iさんは「何だか、底の浅い映画ですね」と言う。えーっ、「キュア」が不評だった時に、僕だけが「現代の日本の病巣を描いた映画だ」とフォローしたのを忘れたんですか、恩知らず、と心中深くつぶやいた。

さらにFさん。僕よりずっと若い女性であるが、なかなか良い趣味をしていて、「マトリックス」で有名になったウォーショースキー兄弟の犯罪映画「バウンド」をベストに挙げたりする。

去年、僕は課題映画に「ライフ・イズ・ビューティフル」(1998)を選び、例会では選んだ本人が最もその映画を否定していたのだが、他の出席者はヒューマニストが多いのか「あんたが、あんないい映画を選ぶなんて見直したよ」などと言う。

しかし、Fさんだけが吐き捨てるように「何なの、あの映画、バッカみたい」という感じだったのだ。僕は「ライフ・イズ・ビューティフル」は、うるさいだけのロベルト・ベニーニにうんざりし、「いい気なもんだ」ストーリーに途中で出ようかと思ったくらいだから我が意を得たのだが、今回は、同じ反応を「グリーンマイル」にされてしまった。

僕とは割に意見が合う小学館の現役編集長Iさんは今回は欠席だったが、ファックスで「奥の深い映画です。ジョン・コーフィーの涙目が忘れられません」と書き送ってくれた。それを出席者に回覧したのだが完全に無視されて、僕としては孤立無援の状態になってしまった。

ひょっとして、みんなの方が多数派・主流派で、やっぱり僕がへそ曲がりのひねくれ者なのかもしれない、と改めて僕は思った。過去の課題映画で最も不評だったのはマーチン・スコセッシ監督の「ケープフィアー」(1991)だったのだが、それを選んだのは僕である。あの時も孤立無援だった。

あの時の映画が「ケープフィアー」ではなく、同じスコセッシとデ・ニーロの「タクシードライバー」(1976)だったとしても、きっと不評だったんだろうなあ。

しかし、僕は敢然と立ち上がった。「グリーンマイル」がいかに奥の深い映画であるか、そのことだけは反論しておかなければならない。僕は、以下のようなことをワインを呷りながら喋った。

……世の中は、理由のない悪意に充ちている。世の中には絶対悪というものが存在するのではないか。救済不可の悪が存在するのではないか。最近の救いようのない事件を聞くたびに、そんなことを考えさせられる。

ホラー作家と言われるキングだが、本当に恐いのは吸血鬼やホテルの悪霊などではなく、人間の持つ絶対悪を描いた時である。それは、「シャイニング」からすでに強烈に描かれている。ホテルの悪霊に取り憑かれる主人公は、最初からその中に悪の芽を秘めていて、あの小説はその主人公が持つ悪の芽が育っていく話なのだ。

スティーブン・キングは、悪と善の戦いを描いてきた作家である。そういう意味では、キリスト教圏の作家なのだろう。神と悪魔の戦い、と言い換えてもいい。彼が描く悪は「絶対悪」である。

キングが登場させる悪役は、改心のしようのない存在である。生まれながらの悪。「グリーンマイル」には、ふたりの絶対悪の体現者が登場する。ひとりは凶悪な犯罪者として、ひとりはサディストの看守としてである。

唾棄すべき人間が出ているにしても、「グリーンマイル」を見た時は涙を流した。絶対悪に対して、究極の「善」を体現する存在が登場するからである。大男の黒人ジョン・コーフィーは、常に泣いているような涙目だ。

彼が泣き、この世に絶望しているのは、世の中に充ちている悪意と、その結果、生み出される悲しみと苦しみに鋭敏に感応するからだ。彼は少女二人をレイプして殺した罪で死刑を待つ身である。そのことについての弁明は、いっさいせずに、彼は電気椅子に座る。

少女たちは姉妹。姉には「妹を殺す」と脅し、妹には「姉を殺す」と脅して意に従わせた犯人は「愛情を利用して殺した」のだ。姉妹の互いの愛を利用して殺した、そのことがこの映画のキーになる。最も卑劣な行為。

人間が最も美しく見えるのは、自分のことを顧みず人のために尽くす姿だ。人を思いやる心こそが最も美しい。無償の行為、自己犠牲が人を感動させる。愛する存在のために命をかける、自らを犠牲にしても悔やまない、その生き方が感動を呼ぶ。

そんな人間の最も良質の部分を利用する絶対悪が存在することを、あの映画は描き出している。しかし、それでもジョン・コーフィーと彼の良き理解者になる人々の存在に、ある種の希望を託しているのだ。

卑劣な悪は、常に身近にある。人間たちの本質として「悪」が存在する。だが、人間たちは人を愛する、愛する人のために自ら犠牲になることも厭わない、そんな美しい心も持っているのだ。そのことを、あの映画は描いた……

今、こう書いているだけで僕は僕の言葉に説得される(されませんか?)。だが、映画好きの出版人たちは誰一人、僕の言葉に説得されず、「何であんなに長いのよ。あれだけのストーリーに3時間も使わないでよ」ってなもんである。

僕は心中深く叫んだ。「この冷血漢たちめ!」

まあ、人間なんてみんな感性が違うから、面白いんですけどね。
しかし、やっぱりへそ曲がりでひねくれ者なのかなあ、僕は。

■2000年5月20日掲載

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、すでに二十数年勤める。現在は隔月刊のアマチュア向けカメラ誌編集長。

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筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】No.0605  2000/05/20.Sat.発行より転載
「日刊デジタルクリエイターズ」サイトにバックナンバーはすべて掲載しています
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