03/06/06 掲載
十河 進
■犬よりましな人生
●救われないライカ犬の生涯
「スプートニク」という名前は、村上春樹の小説「スプートニクの恋人」のおかげで最近の若い人にも知られているようだ。昭和32年(1957)10月4日、ソビエト連邦が打ち上げに成功した世界初の人工衛星である。
スプートニク1号は96分間、地球の周りを回った。人類が地球から大気圏外へ送り込んだ初めての物体である。この時、アメリカは強烈なスプートニク・ショックを受けた。宇宙へロケットを打ち出せる技術力があるなら、モスクワからワシントンまで核ミサイルを撃ち込むことなど簡単に思えたからだ。冷戦まっ盛りの頃である。
さらに1カ月後の11月3日、ソ連は再び人工衛星の打ち上げに成功する。スプートニク2号である。今度は102分間、地球を周回した。ただし、人工衛星の中には生き物が乗っていた。初めて宇宙空間を経験した栄誉は、その生き物に与えられた。だが、歴史上、その生き物はライカ犬としか名を残していない。
そのライカ犬は雌だった。雌犬の方が耐久力があるからという理由で選ばれたのだ。背丈は約60センチ、特別訓練を受け、身体に生理記録を送信するためのメーターが付けられていた。しかし、彼女が何という名前だったのか、どこにも記述はない。
だが、僕らが知らないだけで、「南極物語」(1983)が有名にしたカラフト犬タロとジロのように、もしかしたらロシアでは有名なのかもしれない。渋谷駅前のハチ公よろしく「同志ニーナ」などという愛称で、モスクワ駅前に銅像があったりするかもしれない。「じゃ、赤い広場のニーナの前で」なんて、ロシアの若い男女がデートの待ち合わせをしている……。
そんなことを想像しても、彼女の犬生(?)が救われるわけではない。彼女は宇宙空間に打ち上げられ、狭い宇宙挺の中に閉じ込められたまま、地球を回り続け、やがて死んでいったのだ。
僕はずっとそう思っていた。孤独の中で飢えて死んでいったのだ、と。しかし、調べてみるとスプートニク2号は102分しか地球を回れなかった。その後、どうなるのか。もちろん、大気圏に突入し、炎と燃えながら消滅する。どちらにしろ、羨ましい死に方ではない。
●生き抜くための慰めの言葉
人間は、自己を慰めるための、あるいは自己に言い聞かせる励ましの言葉を持っている。「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」(1985)のイングマル少年は、「人工衛星で死んだライカ犬より僕はまだ幸せだ」と満天の星を見上げてつぶやく。
「犬のような僕の人生」というタイトルを持つスウェーデン映画は、孤独な少年の心の揺れを描いている。時代は、まさにスプートニクが打ち上げられた頃である。病気の母親と意地悪な兄と暮らす少年は、母の病気が悪化して夏に田舎の親戚に預けられ、そこでの出来事が彼に人生を学ばせる。
おとなしく内向的なイングマルは、その村でスポーツ万能のガキ大将サガと出会い仲良くなる。サガはボクシングまでやる活発な存在だ。だが、男の格好をしていてもサガは女の子である。徐々に女の体になっていく自分を嫌悪しているような女の子である。
大人になると忘れてしまいがちだが、子供時代にも、その時その時の悩みや苦しみや悲しみがあった。時には、絶望的な思いに打ち震える夜もあったはずだ。耐えられない孤独を感じたこともあるだろう。エーリッヒ・ケストナーが名作「飛ぶ教室」の序文に書いたように、である。
そんな時に自己を慰め励ます言葉を持ち得たイングマルは、確かに「ライカ犬よりは幸せ」だ。人間には人生を生き抜くための慰めの言葉が必要である。人生を積極的に、肯定的に生きるための励ましの言葉が……。
イングマルは賢明にも自分より不幸せなライカ犬を想像し、それよりましな自分の生活を肯定する。僕には家族がいる、僕には友だちがいる、僕は狭い宇宙挺の中で死を待っているわけじゃない、と彼は思う。ずっと、ずっと、僕は幸せなんだ、と言い聞かせる。
●サンドイッチの年を噛みしめる
フランス映画「サンドイッチの年」(1988)は、1989年に日本で公開された。バブルの余韻が残る時代だ。おしゃれなミニシアターで公開され、あまり多くない人々の涙腺を緩ませた映画である。
ある大企業の社長が、ユダヤ人の店が右翼の人種差別主義者によって襲われたニュースを聞くところから映画は始まる。その店の主人の名を聞いて、40年前に知り合った貧しいユダヤ人の少年のことを彼は思い出す。
パリが解放されて3年たった頃、ひとりのユダヤ人の少年がひとりの金持ちの少年と知り合いになる。ユダヤ人の少年は行き暮れているところを、偏屈で人嫌いのマックス老人の店に雇われる。マックスは世の中を罵り、金にうるさく、使用人に厳しい。
ユダヤ人の少年の事情が徐々に明らかになる。大戦中に一家でドイツ軍に捕らえられ収容所で両親は殺され、戦後、イスラエルに送られるが、そこを逃げだしパリに来て放浪していたらしい。彼は初めてできた友だちの存在に高揚する。彼と待ち合わせをする時、まるで恋した少年のように彼の心は浮き立つ。
だが、所詮、金持ちの息子の親切は気まぐれの所産である。金持ちの息子にとっては何でもない対応が、ユダヤ人の少年を傷付け、ある夜、彼は両親の写真を抱いてベッドで泣く。そこへ、偏屈なマックス老人が心配してやってくる。
マックスは少年が持っていた両親の写真を自室の鏡の前に置く。そこにはいつもローソクが灯され、何枚かの写真が置かれている。マックス老人の妻と娘と息子の写真である。マックスは何の説明もしないが、彼らが皆、収容所で殺されたことは想像に難くない。
マックスは「思い出だけが確かなもの」と言い、死者たちの栄光をローソクの火が照らし出すのだと教える。少年を夜明けの街に散歩に連れ出し語る、その時のマックスの言葉がこの映画のタイトルになっている。
──陽が昇る限り、いい日も来る。大人は夜中に泣かないなんて思ったら間違いだ。涙も人を造るんだ。今年はいろんなことがあった。人生には5度や6度は、こんなことがある。残りは何てことはない日々の連続さ。今年のような年はハムの薄切れのようなものだ。2枚の厚いパンに挟まって、つまりサンドイッチの年だ。そういうときは、よく噛みしめなきゃならん。カラシがいっぱいで涙が出ても、全部、食べなきゃならんのだ。
僕は、様々な映画の中の言葉に励まされて今まで生きてきた。このマックス老人の言葉もそのひとつだ。「サンドイッチの年」とつぶやくだけで、僕には勇気が湧いてくる。
もちろん、マックス老人の他にも恩人はたくさんいる。
「この娑婆にゃ、悲しいこと辛えことがたくさんある。だがな、忘れるこった。忘れて日が暮れりゃ、明日になる」と励ましてくれたのは、「関の弥太っぺ」(1963)こと中村錦之助である。その頃、まだ小学生だった僕にも「悲しいことや辛えこと」はいっぱいあった。
「トト、人生は、お前が見た映画とは違う。人生は、もっと困難なものだ………自分のすることを愛せ。子供の頃、映写室を愛したように」と励ましてくれたのは、「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989/1990公開)のアルフレード(フィリップ・ノワレ)だった。
●映画を見て人生を決めた青年もいた
10年前の6月14日、突然の異動命令に激高して会社を飛び出した翌日、平日の昼間だというのに妙に観客の多い銀座和光裏のシネスイッチで僕は「ニュー・シネマ・パラダイス」を見た。評判になっている映画だった。
翌日も出社拒否のままロケに直行した。その日のカメラマンは加藤孝といい永年の仕事仲間であり、個人的には友人だった。モデルのイカリさんは加藤君のお気に入りで、当時、女性誌やコカ・コーラのCMに出ていた、とても感じのいい人だった。アシスタントはカモシダ君といい、元気のいい青年だった。
気の置けないスタッフだったこともあり、ロケ現場に向かう途中の車の中で僕は異動に対する憤懣を少しずつ打ち明けてしまった。若くて美人のイカリさんがひどく心配してくれて、何となく気分が良くなってきた。まったく、男は単純である(数ヶ月後、彼女は加藤君に「ソゴーさん、会社辞めました?」と聞いたそうだ。残念だが、その後、一度も会っていない)。
そのロケでアシスタントのカモシダ君と話している時に、彼が「『ニュー・シネマ・パラダイス』を見てインドに行くことを決めた」と言った。アルフレードに激励されてローマに行き映画監督になるトトのように、彼もまた写真家になるためにアルフレードの「決して帰ってきてはいけない」という言葉だけを胸にインドへ行くのだという。
アルフレードの言葉と、その言葉によってインドへ行くというカモシダ君の言葉が身に染みた。彼らの言葉が僕に跳ね返ってきた。「俺は一体、何がやりたいのだろう」と、彼らの言葉は僕に迫ってくるのだった。
突然の異動命令は、僕のキャリアや培ってきた知識・人脈を根こそぎ奪い断ち切るもののように思われた。まったく知識のないジャンル、ひとりも知らない筆者、創刊したばかりの本、おまけに平編集者から一気に責任者へ、という内容だったのだ。スタッフも3人抱えることになる。
冷静に自分の反応を振り返った。「こんな会社、辞めてやる」と荒れて飛び出した2日前の自分の姿が甦る。8年間、アマチュア向けのカメラ誌を編集してきて、飽きていたのは事実だった。自分の新しい挑戦のために、プロ向けの写真誌を企画していたところだった。
「創刊したばかりの雑誌で、何か新しいことができるかもしれない。自分が作りたい雑誌にすればいいんじゃないか」と、イカリさんに指示を出す加藤君の声を聞きながら思った。あの時、僕は「少なくとも自尊心だけは失くすまい。自分のすることを愛そう」と決意した。
あの時の僕を励ましてくれたのは、間違いなく「ニュー・シネマ・パラダイス」だった。そして、映画がひとりの青年の人生に影響を与える力があるという事実だった。
天使が失われた街に住む、かの私立探偵が言うように「しっかりしていなければ生きていけない」し、「やさしくなれなければ生きていく資格はない」のだろうが、僕は「映画がなければ生きていけない」のである。
人はパンのみにて生きるにあらず。
■2000年6月3日
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、すでに二十数年勤める。現在は隔月刊のアマチュア向けカメラ誌編集長。
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筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0617 2000/06/03.Sat.発行より転載
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