03/09/12掲載
十河 進
待っている
●抽象化されやすい「待つことの意味」
待つのが好きだ。人生なんて、どうせ何かを待ち続けることでしかない。待ち続けて待ちぼうけになる方が多いのだが、それでもみんな「何かを待ち続けている」のだと思う。待ち続けて死んでいく……。
数年前、若く美しい女性と話していて「みんな、何かを待っているよね」と言ったら、彼女が「みんな、何かを待っているんですね」と感慨深そうにリフレインした。あの言葉を彼女は胸に刻んでくれただろうか。
以前にマイ・フェイバリット・ソングは、ミッシェル・ルグランの「待ちましょう(I will wait for you)」だと書いた。「永遠に会えなくても、私は待っている。千回の夏が過ぎても、私は待っている」と歌う「シェルブールの雨傘」(1964)の主題歌である。
待つ、という行為は何かを象徴する。あるいは何かのメタファー(隠喩)になる。サミュエル・ベケットの前衛劇(今や古典的名作だが)「ゴドーを待ちながら」は永遠にやってこない神(ゴッド)と同じような名を持つゴドーを待ち続ける話である。そこでは、ゴドーを待つということに抽象的な意味を含ませ、待ち続けることのコア(核)のようなものが描き出される。
リュウ・アーチャーという思慮深い私立探偵を創造したロス・マクドナルドは文学的コンプレックスがあったのか、あるいはハードボイルド探偵小説を文学に高めようとしたのか、最高傑作「さむけ」(ハヤカワ文庫)の中でこんな遊びをやっている。
「だれか探していらっしゃるの?」と、女は言った。
「いや、待っているだけです」
「レフティを、それともゴドーを? おなじ待つでも大ちがいよ」
「レフティ・ゴドーを待っているんです。彼はピッチャーでしてね」
「ピッチャー・イン・ザ・ライ?」
「彼はバーボンのほうが好きだそうです」
「わたしもよ」と、女は言った。「あなたはインテリを嫌っていらっしゃるみたいね、ミスター───」
「アーチャーです。テストは不合格でしたか」
「採点者によりけりね」
●待ち続ける青年の焦燥感はいつの時代も同じだ
「待つこと」の焦燥感をテーマにした映画に「俺は待ってるぜ」(1957)がある。この映画で主人公は文字通り「ブラジルへ行った兄からの便りを待ち続けている」のだが、同時に待つことの意味は抽象化されている。脚本は現都知事の石原慎太郎。監督はこの映画がデビューの蔵原惟繕である。
ヨコハマの波止場近くでレストランを営む青年(石原裕次郎)は、ある夜、海を見つめるミステリアスな女(北原三枝)と知り合う。女は挫折したオペラ歌手で、今はナイトクラブでステージ歌手をやっているのだが、クラブ経営者のやくざな弟に襲われ逃げてきたところだった。
青年は1年前にブラジルに渡った兄の「準備ができたら呼び寄せる手紙を書く」という約束を信じて待ち続けている。だが、彼は何の音信もない兄を疑い始めている。彼の焦りは、一時的なものではない。青年たちが一様に抱く焦燥感として普遍化される。
蔵原惟繕はデビュー作らしく気負っているしセリフも観念的だが、時代状況はよく反映している。いや、当時の青年たちの精神状況を反映していると言った方が正確だろう。
戦後10年を過ぎた頃の映画だ。日本が独立してまだ数年しか経っていない。朝鮮戦争の記憶は生々しく、冷戦の緊張感が世界を覆っていた。空襲の記憶をみんな忘れてはいないが、10年を越える平和が日本社会を安定させていた。
しかし、青年たちの思いは変わらない。社会の閉塞状況を彼らは強く感じていたに違いない。原作者の石原慎太郎も、当時は彼の盟友だった大江健三郎も、時代の閉塞感について、それから派生する海外脱出への憧憬を文学的テーマにしている。
ちなみに1950年代後半から1960年前後にかけての石原慎太郎と大江健三郎は、今でいうなら村上龍と村上春樹くらい人気のある純文学作家だった。「行為と死」(石原慎太郎)や「われらの時代」(大江健三郎)などは、まさに同時代の青年の精神状況を描き出した作品だったのだ。
大江と石原がイデオロギーの違いを認識して袂を分かつのは60年安保闘争を経た後のことである。天皇制批判を自らの文学的テーマにし、ヒューマニズム的言動を常に忘れない良心的文学者をめざす大江と、ヒロイズムとマチズムという時代錯誤的観念に固まり、政権与党から政治家をめざした権力主義者の石原とが、かつて盟友だったことの方が今では不可解である。
「俺は待ってるぜ」は、待つことの焦燥感、海外への憧れ、日本脱出の期待と不安など、当時のキーワード的テーマが散りばめられているが、「青年の夢と挫折」という普遍的な読み方をすれば、充分に鑑賞に堪える作品だ。
しかし、当時は「帰り来る日を〜ただそれだけを〜俺は〜待ってるぜ〜」とパセティックに歌う石原裕次郎の歌謡映画として作られヒットした。
子供の頃、職人の家だった我が家には中学を卒業したばかりの住み込みの弟子が二人いた。僕にとっては「住み込みのお兄ちゃん」である。彼らの部屋には「明星」や「平凡」の付録の歌詞本があり、安物のギターがあった。僕は彼らに「俺は待ってるぜ」の歌を教えて貰ったものだった。
●訳あり風に見える「待っている女」
ひとりの女が何かを待ち続けている。男は、それを自室の窓から見て気になり始める。何時間も女は待っている。男は、女が待っている理由を様々に想像する。やがて彼は自分の想像が真実だと思い始め、待ち続ける現実の女に声をかける……。
本をなくしてしまったので確認できないが、若くして事故死した山川方夫の短編集「親しい友人たち」の中の「待っている女」は、そんなストーリーだった。女が何か(誰か)を待っている姿は、男にとって妙に気になるものである。特に訳あり風に見える「待っている女」は、男の興味をそそる存在だ。
しがないホテル探偵トニー・リゼックもそうだった。彼は、ホテルの最上階の部屋を借りて数日間まったく外出しない女が気がかりだった。もっとも、彼の場合は職業意識が警報を発したのだ。数年前に最上階に滞在した女は勘定を済ませた後、ベランダに出ていき飛び下りた。
ある夜、トニーはラジオ室でベニー・グッドマンを聞く女に話しかける。女は出所してくる男を待っているのだという。だが、男はトラブルを抱え、彼を待っていたのは女だけではなかった。男が奪った金を取り戻すために、ギャングたちも待っていたのである。
トニーは、昔なじみのギャングから「女をホテルから出せ」と脅される。女の相手を捕まえようとする彼らは、女を囮にしたいのだ。ホテルに戻ったトニーは、女が話した容貌とそっくりな新しい客が別の部屋に入ったのをボーイから耳にする……。
レイモンド・チャンドラーは中編と長編を主に書いているから、唯一のショートストーリーと言えるのが「待っている(I'll be waiting)」(創元推理文庫)である。ここには、ハードボイルド小説のエッセンスがすべて詰まっている。
登場するのは、待つ女、しがないホテル探偵だが自分のルールとモラルで生きている誇り高い男、やくざなヒモにギャングたちである。トニーは「待っている女」のために自らを窮地に追い込んでしまうのだ。ほんの数分、話しただけの女のために、である。
だが、僕にはトニーがこの瞬間を待っていたような気がする。ばれれば窮地に陥るのを覚悟して、彼は女のために、女が悲しむのを見たくないために、男をギャングたちから逃がそうとした……。
●社会的敗者の高潔で誇り高い心
ハードボイルドは(少なくともレイモンド・チャンドラーは)敗者の文学だ。あるいは弱者の立場に立つ文学だと思う。主人公は、社会的敗者といってもいい裏社会に住む探偵やギャングやギャンブラーである。
フィリップ・マーロウも社会的敗者であることに違いはない。「仕事がない」「金がない」ことを、彼は自己憐憫風の警句で連発する。もちろん探偵という商売にロマンチックなイメージを付加した第一の功労者ではあるが、アメリカでだって私立探偵の社会的ポジションは低い。
だが、彼らをロマンチックな存在にしているのは、その精神の在りようである。チャンドラー自らが書いた言葉「卑しい街(ミーンストリート)を往く高潔な騎士の精神を持つ男」たちなのである。
高潔で潔く、誇り高く自ら恃む心に溢れ、自己のルールとモラルに忠実な、信念の男たちである。彼らを基準に世の中を見ると、権力者たちの、あるいは権力(体制)の側にいる人間たちの、何と浅ましく下品なことか。
彼らは、世の中の汚いものを見続けてきたのに、自らは汚れることのなかった誇り高い男たちである。世の中の醜さを知り尽くしたが故に現実主義者(リアリスト)になっているが、どこか理想主義者(ロマンチスト)に共感する部分を引きずっている。だから、未だに何かを待っている。
ホテル探偵のトニーは、ギャングのボスに呼び出され、気軽に挨拶を交わすような世界に生きてきた男だ。まともな男ではない。ギャングたちと近い世界で生きてきた過去を持つのだろう。そして、一日一日をすりつぶすように生きている。ホテル探偵で生計を立てながら……。
人生の苦渋を知り尽くした男だが、それでも絶望しきっているわけではない。人間の真実の心を知っているし、そんなものは滅多にないと思いながら、全くないとは思っていない。彼自身、何かを待っているのだ。
それは希望や期待などではない。そんなものを待ち望むほど、彼は甘くはない。長く厳しい人生は、彼にそんなものは叶わぬ夢だと思い知らせた。しかし、漠然とした何かを心の隅で待っている……。いや、待ち続けないではいられない。
そんな男が女の打ち明け話を聞いて、女に好意を持つ。女の話はきれい事ではない。いや、それどころか男を警察に売ったのは女自身だ。それでも出所してくる男を待つ女の気持ちに触れて、トニーは真実の心が存在するのだと、久しぶりに思い出す。汚れた世界の中の真実の心である。
だから彼は昔なじみのギャングを裏切った。そんなことを、世慣れた自分がするとは思っていなかったかもしれない。だが、そんな行為をする時がくるのを、心のどこかで彼は待っていたに違いない。
小説では登場人物たちの行動と言葉しか描かれず、彼の行為には何も説明されない。だが、「I'll be waiting」というタイトルは、待っている女のことを指しているのではなく、中年のしがないホテル探偵の心を象徴しているように僕には読みとれるのである。
僕も、未だに何かを漠然と「待っている」ような気がしているから……。
■2000年9月30日号
十河 進【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、編集者として過ごす。現在は、管理部門に勤務。
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筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0704 2000/09/30.Sat.発行より転載
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