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03/09/26掲載

十河 進

覚悟と潔さを教えてくれた監督の死

●ミーハーなファンとして工藤監督に会う

9月23日、工藤栄一監督が亡くなった。71歳だった。

工藤栄一監督が創り出す映像の、僕は熱烈なファンだった。「映像の刺客」とか「逆光の魔術師」と言われた映像派の監督だった。1959年に監督としてデビューし、40年の歳月を映画監督として活躍した。テレビでも引っ張りだこの監督だった。

工藤栄一監督に会ったのは、1981年の春先のことである。月刊「小型映画」という雑誌で「監督インタビュー」というページを作り、毎回、会いたい監督を取材していた。1回目は加藤泰監督だった。そして、2回目を決めようと思った時、1年ぶりに加藤泰監督の盟友・工藤栄一監督の新作が公開されると知った。

前年、久しぶりの本編「影の軍団・服部半蔵」(1980)が公開され、工藤栄一ブームが起こっていた。渡瀬恒彦、緒形拳、西郷輝彦が出演した話題の新作と共に伝説の名画「十三人の刺客」(1963)がニュープリントで同時上映されたからだ。その時、僕はようやく「十三人の刺客」をスクリーンで見た。

噂に違わず「十三人の刺客」は素晴らしかった。元々、テレビの必殺シリーズや「傷だらけの天使」などでファンになった僕としては、ようやく工藤栄一監督の真価に触れられた思いだった。僕は、さらに熱心なファンになった。

その工藤栄一監督が新作を作っているという。僕は、すぐに東映宣伝部に電話した。監督は、まだ作業に入っていた。映画のタイトルは「ヨコハマBJブルース」(1981)といい、主演は松田優作。内田裕也が重要な役で出ていた。

シナリオは丸山昇一だ。「処刑遊戯」(1979)でデビューし、「野獣死すべし」(1980)など多くの松田優作の映画を担当した。80年代の角川アイドル映画もかなり手がけていたが、テレビシリーズの「探偵物語」(1979放映)も書いていたシナリオライターである。

インタビューの数週間後のことだが、僕は「ヨコハマBJブルース」を試写会で見た。ストーリーはレイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」を下敷きにしていた。主人公のBJ(松田優作)はヨコハマのうらぶれた私立探偵。友人(内田裕也)が死んだと聞き、その謎を探り始める……。

インタビューの時には、まだ最後のダビング作業をやっているということだった。完成したフィルムに音入れをするのである。嬉しいことに工藤栄一監督は、現場でインタビューを受けてくれるという。僕はカメラマンと一緒に、勇んで大泉の東映東京撮影所へ出かけた。

最初は、撮影所の食堂でインタビューを始めた。大泉撮影所へ行くのは初めてではなかったが、スタッフや俳優でごった返す食堂に入るのは初めてだった。もしかしたら高倉健がいるんじゃないか、と監督がくるまで僕は少しキョロキョロしていた。

しかし、色の濃い大きなサングラスをかけた工藤栄一監督が現れた途端、僕は舞い上がってしまった。「あの工藤栄一監督が目の前にいる!!」と、急に心臓がドキドキし始めた。まったく、ミーハーなファンである。

●逆光シーンは工藤栄一印の映像

1970年代後半、工藤栄一監督は仕事のフィールドをテレビに移していた。今や伝説のドラマになった「傷だらけの天使」(1974年10月〜1975年3月放映)は、最初、日本映画の俊英たちが一本ずつ監督するのが話題だったが、後半は工藤栄一がかなり撮っていた。

最終回、死んだ水谷豊をドラム缶に入れて、ショーケンがリヤカーで夢の島に捨てに行くシーンは、今でもありありと浮かんでくる。見事な逆光シーンだった。もちろん監督は工藤栄一である。

「新・必殺仕置人」(1977年1月〜11月放映)は、元阪神の藤村富美男が元締めとして登場したシリーズである。その元締めのボディガードして登場したのが「死神」と呼ばれる河原崎健三だが、その第一回めの「死神」登場シーンには唸った。

白壁の土塀が続く夜の道。藤田まこと(山崎努だったかな)の前に落ち葉が舞い上がり、地中から「死神」が現れる。背後から青い光を浴びた逆光である。見事なアクション、見事な映像美だった。

インタビューを始めてすぐ、僕はそのふたつの忘れられないシーンについて監督に聞き始めた。「死神」の登場シーンを僕が熱心に再現すると「いやあ、あれはケレンでね」と監督は照れた。しかし、工藤栄一の映像はケレンに充ちているからワクワクするのである。

その時点で工藤栄一監督の最新作だった「影の軍団・服部半蔵」の中にも観客を驚かすためとしか思えないケレン味たっぷりの映像がある。上の半蔵(西郷輝彦)と下の半蔵(渡瀬恒彦)がいて、敵の甲賀軍団の頭(緒形拳)がいる。

その緒形拳が初めて登場するシーン。土蔵の扉が開くと真っ白にハレーションを起こした背景の中に、シルエットで緒形拳が立っている。全身を黒い陶器のようなものが覆っている。自ら仕掛ける火術から身を守るための膜のように全身を覆う鎧だ。それがカラン、カランと音をたてて、ひとかけらずつ剥がれていく。そのスローモーションの映像……。

●侍とは覚悟のもの、常に潔くありたい、と思う

伝説の時代劇「十三人の刺客」は、明朗で脳天気な東映時代劇が人気を失い始めた頃、シリアスな集団抗争時代劇のはしりとして登場した。その構成の見事さ、現実的で納得させられる展開、端正なセリフの美しさが印象的で、見終わって深々とため息をつく。

シナリオは池上金男。現在は時代小説家・池宮彰一郎として知られる。池宮名義のエッセイでも「脚本家時代の代表作としては『十三人の刺客』と人にも言われるし、自分もそう思う」などと書いている。確かに、このシナリオは傑作だ。いつまでも耳に残るセリフが散りばめられている。

「お主たちの命、この新左が使い捨てに致す」とか、「策はある。まだ、策はある。策がのうてはかなわんのだ」など、ああ、なんて昔の時代劇は格調が高かったのだと思わされる。これらのセリフは池上金男も気に入っていたのだろう、小説デビュー作「四十七人の刺客」でも使っている。

江戸城本丸門の前で、訴状と共に腹を切って果てている武士のシーンから映画は始まる。男は明石藩の家老。先の将軍の出来の悪い息子を藩主として押しつけられた明石藩代々の家老である。彼は、性粗暴な藩主の隠居を老中に命に代えて訴えたのである。

しかし、現将軍の弟にあたる明石藩主についてはお咎めなしとの評定が出る。将軍の指示でそう評定を出したものの老中は、来年、その明石藩主が将軍のお声掛かりで老中職になることを阻止せんと、内密にお目付・島田新左衛門(片岡千恵蔵)に藩主暗殺を命じる。

シーンが変わって明石藩江戸屋敷。事後処理のために諸方を走り回っていた鬼頭半兵衛(内田良平)が帰ってくる。彼は、藩主が切腹した家老の家族を幼子まで含めて引っ立て、庭で惨殺するのを止められない。「幼子まで……惨いことを」とつぶやく。

この半兵衛は明石藩側唯一の人物で、新左衛門の好敵手として藩主暗殺を阻む。直参旗本で新左衛門とは共に認める間柄だったが、先の将軍に頼まれて淫虐粗暴な性格の息子の補佐役として明石藩に出向いたいきさつがあり、藩主の残虐さを知りながら仕えなければならないジレンマも感じている。

だが、彼は武士である。あくまで暗殺を防ぎ、主君を守るために全力を注ぐ。その半兵衛と新左衛門が対面する場面。いずれ命のやりとりをしなければならぬと知っているふたりであるが、新左衛門は言う。

「いずれ、いかなることに相成ろうとも侍として潔くありたいもの」

この映画は「今の世に真剣を持って闘った侍など、どこにもおらぬ。我にもなければ、相手にもない。命と命をぶっつけあって闘う時、そこになにが起こるかわからぬ」という武士とはいえ安定した生活を送る江戸時代後期に、いかに侍として生きるか、を問いかけたものである。

新左衛門の甥(里見浩太郎)は芸者のヒモのような生活を送っている。新左衛門の部下が事を打ち明けて助力を頼みにくるが、「今は養ってもらっている芸者に義理を感じている」と放蕩無頼の己を韜晦するように断る。

だが、彼は「一度、思いっきり真剣になってみたくなった」と芸者(丘さとみ)に言って藩主暗殺に加わる。彼は一種のニヒリストで、老中から命ぜられた藩主暗殺そのものは権力闘争でしかないと見極めているし、ヒロイズムに陥りがちな他の面々に水を浴びせるようにシニカルな発言をする。つまり、様々なことを別の視点で見る役割を映画の中で担わされているのだ。

彼の存在は映画に深みを与えているのだが、その彼も武士として何かを成すために生きてみたくなる。生きる目的(生を充実させるために死を賭して闘うという矛盾はあるのだが)を彼は欲したのである。彼は、「お帰りは?」と問う芸者に、こう言い置いて出ていく。

「早ければひと月足らずだ。遅ければ……次のお盆に帰ってくる。迎え火焚いて待っててくれ」

覚悟の言葉である。この映画は人としての覚悟と、覚悟を決めた人間の潔さを描いた映画である。何も侍が主人公だからといって「侍の覚悟」だけを描いているのではない。「人間としての覚悟の持ちよう、いかに潔くあるか」といった日本人の美意識の原点を描いているのだ。

「侍とは心のもの、覚悟のものと心得ます。それが今この時に役立たぬとあっては、手前、十年の歳月を恨むほかありません」と、剣の達人を演じる浪人・平山(西村晃)は言う。

その平山の言葉を聞いて新左衛門の片腕である平永(嵐寛寿郎)は、「せっかくの志を無にいたしましては、平山氏(うじ)の侍心が立ちますまい」と新左衛門に進言する。それぞれが己の志を持ち、侍としての覚悟を固め、常に潔くありたいと願っている。

この侍という言葉を「人」に置き換えれば、今の時代でも同じことだ。「人として志を持ち、覚悟を決めた生き方をし、どんな時でも潔くありたいもの」と僕は思っている。もちろん現実にはなかなかむずかしいが、少なくとも卑怯未練なマネだけはしたくない。

●覚悟を固め潔さに溢れる職人監督

……大泉撮影所の食堂はすき始めた。昼休みが終わったのだ。スタッフたちは再び午後からの撮影のために、それぞれのスタジオに戻っていく。スターたちは自分の楽屋で食事していたのかもしれない。あるいは、僕は監督の話に夢中で、周囲に誰がいたかなど気付かなかったのかもしれない。

しかし、僕は肝心なことをまだ聞いていなかった。「よければ、ダビングルームで話しませんか」と、工藤栄一監督はやさしく誘ってくれた。時代劇のメッカ・京都在住である。言葉はやわらかい。「ぜ、ぜひ」と、僕は大喜びで立ち上がった。

記憶では、体育館ほどもあるダビングルームだったような気がする。もちろん、オーケストラが入って正面に映し出される映像を見ながら生で音楽を録音していくことがあるから、実際にそれくらい大きさが必要なのかもしれない。

その大きなスタジオの後ろの方に椅子が並べられ、真ん中に腰を下ろした監督の横の椅子を僕はすすめられた。ミキシングルームから声がかかり、監督が「スタートしてくれ」と言うと、正面の大きなスクリーンに小汚い格好をしたひげ面の松田優作が映し出された。スクリーンの下にはUVメーターが映し出され、音の強弱によって針が振れている。

暗いスタジオでスクリーンを見ながら、監督の方から話しかけてくれた。「アマチュアの映像作家というのは、どれくらいいるものなのですか」と、本当に興味がありそうに質問をしてくれる。さすがにもう僕は落ち着いていたが、初めての本編のダビング作業には興奮気味ではあった。

しばらくして録音助手の人がやってきて、監督の耳に何か囁いた。「松田優作がこられなくなった」と僕にも聞こえた。監督は、僕に対する態度とはうって変わって「どういうことだ」と声を荒げた。録音助手の人が一瞬、身を引くくらいドスの利いた声だった。

その後の言葉は聞こえなかった。さすがに取材中の雑誌編集者の前で詳しいことを聞かれてはまずいと思ったのだろう。録音助手の話が終わると、監督は席を立った。それでも「ちょっと失礼します」と僕に丁寧に断って、ミキシングルームの方へ行った。

スタジオと大きなガラスで隔てられたミキシングルームで、監督は真っ赤な顔をして怒っていた。声はまったく聞こえない。それでも監督の怒りと思いは伝わってきた。

この映画の完成だけを、完成度の高さを監督はこだわっているのだ。職人監督と言われているが、職人だからこそ妥協できないことは多い。プロとしてのレベルは高いはずだ。監督のパントマイムのように見える動きが、僕にはとても切なく見えた。

しばらくして監督は再び僕の隣の椅子に戻ってきた。「すいませんでしたね」と監督は言う。その声の調子は前と変わらない。やさしい響きだった。僕は、再びインタビューを続けた。

インタビューが終わった頃、「監督」と後ろから声が聞こえた。監督が振り返ると若い男が立っていた。「おう」と監督が声をかける。若い男は緊張した感じで直立不動のような姿勢になり「陣中見舞いに参りました」と言った。

監督は少し微笑み、「おう」と応えて「大変だったな」とねぎらった。「ヨコハマBJブルース」に出た新人俳優のようだった。彼の出現は監督の心を癒したのかもしれない。僕に対してはずっとやさしかったのだが、彼の出現でスタッフたちに対する態度もやさしくなった。

「よーし、優作の部分だけ残して、後は仕上げるぞ」と監督はスタジオに響く大きな声をあげた。その監督の声に、僕は「十三人の刺客」で見た覚悟を決めた人間の潔さを感じていたのだった。

僕に「いかなることに相成ろうとも人として潔くありたいもの」と教えてくれたのは「十三人の刺客」であり工藤栄一監督だった。監督の冥福を祈りたい。

■2000年10月14日号

十河 進【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、編集者として過ごす。現在は、管理部門に勤務。

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筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0715  2000/10/14.Sat.発行より転載
「日刊デジタルクリエイターズ」サイトにバックナンバーはすべて掲載しています
http://www.dgcr.com/

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