118いい輪
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03/10/31掲載

十河 進

免許がない!

●団塊世代はけっこう免許を持たない


周囲に運転免許を持たない人が多い。デジクリ編集長の柴田さんもそのひとりだが、僕の学生時代の友人たちにも多いのだ。数年前、リストラにあった友人は本人の弁によれば「食い詰めて」高松に帰ったが、去年会ったら免許を取得していた。そんなことでもないと、今更、免許を取りにはいけない。

再就職のために免許を取る、という人はけっこう多い。高校時代からのガールフレンドの旦那は、再就職のために免許を取ったのが30過ぎ、今では自動車学校の教員をしている。「天職だと思う」と言っているから、人間の運命なんてわからない。

40過ぎて免許を取ると、ハマルと言われている。五木寛之がそうだった。売れっ子作家になって40前後で免許を取った。とたんに自動車小説が増えた。「ダブルクラッチ」などという小説も、その頃のものだ。今じゃ、カーマニア小説家として月刊NAVIに登場することがある。

村上春樹や北方謙三も40前後で免許を取り、村上春樹はトルコを自動車で旅し、北方謙三はアメリカ大陸を横断した。和製ハードボイルドで鳴らす北方さんだが、免許を取った途端に車の描写が具体的になった。ハンドルと書かずに「ステアリング」になった。「傷だらけのマセラッティ」という小説も発表した。

北方謙三は中央大学のバリケードの中にいた時、文芸誌の編集者が原稿依頼に来たと話していたし、村上春樹も早稲田が混乱した時期にいた。ふたりとも団塊の世代である。引き上げ世代の五木さんが免許を取る余裕がなかったのはわかるが、団塊世代前後の人々もけっこう免許を持っていない。

森田芳光監督も、やはり40過ぎて免許を取りにいき、その時の体験から「これは映画になる」とひらめき「免許がない!」(1994)を思いついた。確かに教習所には、本人にとっては恥ずかしく哀しいことだが、他人からすれば笑ってしまう話がいっぱいある。

「免許がない!」は、元暴走族の舘ひろしを免許のない二枚目俳優にしたのがキャスティングの妙だが、期待したほど面白くはなかった。やっぱり舘ひろしを徹底的三枚目にするわけにはいかなかったのだろう。

●妻の運転する車の助手席の悲哀

団塊の世代よりは若いが、僕も免許がなかった。免許がなくて一番困ったのは、レンタルビデオ店の会員になる時だった。身分証明が何もない。だからというわけではないが、免許を取ろうかな、などと考えていた。40過ぎのことである。

背中を押してくれたのは、写真家の丹野清志さんだった。丹野さんはブラブラと田舎を歩きながら、パチッパチッとシャッターを押すという人で、足で歩かなければ生まれない写真を撮る人だ。絶対に免許と縁のない人だと思っていた。

古今亭志ん朝師匠はかなりの写真マニアらしいが、「丹野清志さんのような写真が撮りたい」と常々言っていたそうで、それを聞いたある雑誌の編集者がふたりを引き合わせた。照れ屋同士のふたりは「先生」「師匠」と言い合っていただけ、という伝説もある。

その丹野さんは、いつも会社の近くから電話をくれる。「今、飯田橋にいるんだけど……」「わかりました。5分くらいで行きますから」と答えて、僕は丹野さんが待つ喫茶店へいく。いつもは、本や映画や最近の写真の話をするのだが、その時は違った。

「いやぁ、凄いよ。車は…」と、いきなり始まった。数年前に白河に80坪の家を買って引っ込んだ丹野さんだが、買い物などが不便で奥さんが免許を取った。当たり前だが、車も買った。しばらく奥さんの運転する車に乗って出かけたりしたが、どうもいけない、人の目が気にかかる。

一緒に買い物などに出て、奥さんが道端に駐車し「ちょっと待ってて」と言って出た後の車に残された時など、特に落ち着かない。エンジンはかかったままだ。助手席に座っている丹野さんを、通行人がことさら覗き込んでいくような気がする。誰かがやってきて「邪魔だから車を動かせ」と言われたらどうしょうと考える。「運転できない」と言った時の相手の反応を想像して、ちょっとうんざりした。

「うんざりした、というより自尊心の問題だね」

「ごもっとも」と僕も相槌を打つ。免許取得10年のカミサンの横で、いつも買い物を待たされている身としては、身にしみる話だ。

「それで、免許、取ったんですか」

「取りましたねぇ、オートマ限定ですが」

「凄いですねぇ」

「今じゃ、たばこ買いにいくのも車です」

「撮影の時はどうするんですか」

「うーん、どうしょうかなあ」

すっかり、車にはまっていた。カメラ誌に連載エッセイを書いていたのだが、そこでも免許を取ったことをネタにしていた。「免許、取るのなら今だよ」と丹野さんは断言した。翌年から、教習制度が変わるという。心が動いた。

それでも決心できなかった。しかし、免許を取って颯爽と「男と女」(1966)のジャン・ルイ・トランティニアンのように車を飛ばしている己の姿が浮かんでくる。自宅にあるのは、8年目に入った日産パルサーだったが、空想の中ではスカイラインに乗っていた。

ホントはフェアレディZの方が良かったのだが、現実とあまりに離れてしまうので遠慮したのだ。日産の車ばかり浮かぶのは、日産ファンということではなくて、日産の車しか買えないからだ。

自動車会社の社員の親類縁者は全国にどれくらいいるだろう。カミサンの弟は日産に勤めている。したがって、日産以外の車は買えないのである。ダイエーのパートのおばさんはダイエーで買い物するように言われているらしいが、それと同じである。まさに金は天下のまわりもの、ですね。

●自らを追い込み退路を断つ

決心が付かない時にやる方法を、またも実行した。人に「免許をとろうかと思ってる」と言いふらすのである。抜き差しならない状況に自らを追い込むのである。ここで挫折したら格好悪い、と思う状況を作るのだ。

僕は、見栄っ張りだと思う。だからやせ我慢を張ることが多い。そのくせ小心だから、なかなか実行力が伴わない。最も言われたくないのが「口だけじゃないか」という批判だから、言った以上はやり通す、と頑張ろうとしストレスがたまる。

そういう性格の人間だから、年下のスタッフなどに言っちゃうのが、引っ込みがつかなくなってよい。当時、僕はビデオ雑誌の編集長をやっていたが、スタッフが3人いた。その一番若いのにまで、つい「免許をね、取ろうかと……」と口を滑らせた。

この一番若いスタッフというのが悪いことに何と僕の高校の後輩で、女性には珍しくマニュアルの車を運転してビデオカメラのテストに出かけるという実に豪快な人(社内一男らしい、とは先輩の女性編集者の弁)であった。これでは、免許を取りに行くしかない。

しかし、周囲はいろいろと脅す。「年齢×1万円かかるそうですよ」とか、「教官に怒鳴られまくりますから」とか、「仮免取って路上に出た時くらい怖い思いをしたことはない」とか、様々なことを言うが、一番こたえたのは年齢×1万円の話だ。本当だとすれば、42万円かかるじゃないか。

結局、自宅から自転車で通える教習所へ行ったのは「行くぞ、行くぞ」と騒ぎ始めてから1ヶ月近くたってからだった。「あのー、教習の申し込みをしたいんですが…」と窓口で言うと、春川ますみみたいなおばさんが事務所の奥から出てきて、「写真持ってきました?」と聞く。

「いえ」と答えると、仕方ないわね、といううんざりした顔をして「じゃ、次までに3センチ×4センチサイズの写真を3枚、持ってきてください。申し込みの時に18万円、教習券は10時間分ついてます。足りなくなったら買い足してください。一時間1500円」と実に事務的だ。教習所のシステムの説明も何もない。

申込書と教習マニュアルを渡されて、また悩むことになる。マニュアル免許かオートマ免許か、である。さっそうとスポーツカーを駆るためには、絶対マニュアル免許でなければならない、と僕の美学は告げている。だが、「マニュアルはオートマより10時間はよけいにかかる」と言われた言葉が甦る。

カミサンはオートマ免許のない時代に取っているから、当然マニュアル免許である。しかし、もうマニュアルには乗れない。免許を取ってすぐにオートマ車に乗り始めた。それから10年、教習所で乗っただけで一度もマニュアルでは運転していない。乗用車の80%がオートマだと新聞記事にも出ていた。

だが、ギヤチェンジをしながらカーブを曲がる己の姿が浮かぶ。右手をハンドルに置き、左手はギヤチェンジのレバーを軽く握っている。素早いシフトダウン、ダブルクラッチ、ヒール・アンド・トゥ等々、知る限りの運転用語を頭の中で並べ立てる。

いつでもそうなのだが、知識から入る方である。今回も、徳大寺有恒大先生の「クルマ運転術」やら下野康史先生の運転の本など、読み漁ってきたのである。

オートマかマニュアルか、現実的妥協か、あくまで男の美学を貫くか、申込書を前にして僕は途方に暮れてしまった。

■2000年11月18日号

十河 進【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、編集者として過ごす。現在は、管理部門に勤務。

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筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0744 2000/11/18.Sat.発行より転載

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