118いい輪
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03/12/05掲載

十河 進

48年前のオードリー

●生き方のモデルになるような登場人物たち

昨年の秋から放映されているが、キリン・ビバレッジの紅茶のコマーシャルにオードリー・ヘップバーンが出ている。モノクロ映像のCMだから妙に印象に残るし目立っている。自然な映像だが白いセーターの身体は別の女性のもので、48年前のオードリーの頭部だけをCG合成しているらしい。

オードリーの顔は「ローマの休日」(1953/118分)で、迎賓館を抜け出した翌日、ジョー・ブラッドレー(グレゴリー・ペック)のベッドで目を覚ました時のシーンを使っているということだったので、確かめたくなって久しぶりにLDを取り出してみた。

「ローマの休日」を見るのは何度目だろう。中学生の頃にリバイバル上映で初めて見て以来、もう十数回見ているかもしれない。僕はオードリーの映画の中でも「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」(1954/113分)を見ることが一番多い。もちろん、オードリーの映画はほとんど持っている。

「ローマの休日」を見て思ったのは、「この世に完璧な映画というものが存在するとしたら、それは『ローマの休日』だ」ということだった。

僕は迎賓館の長い長い廊下を歩いてくるグレゴリー・ペックを写したラストシーンの移動ショットを見ながら「この世に完璧な映画が存在するとしたら、それは『ローマの休日』だ」とつぶやいてみた。すると、監督のウィリアム・ワイラーが僕の横に立ったような気がしたものである。

「ローマの休日」はロマンチック・コメディというジャンルに入る映画だ。50年代から60年代初期にかけてハリウッドで量産されたジャンルである。先行する映画としては「或る夜の出来事」(1934/105分)があり、その影響をあげる人もいる。

「或る夜の出来事」はフランク・キャプラ監督の古典的名作だ。金持ちの家出娘と失業中の新聞記者のロード・ムービー的ロマンチック・コメディで、なるほど新聞記者の設定は「ローマの休日」のペックの役に影響を与えているのだろう。

新聞記者という仕事は、普通のビジネスマンと違って少しやくざなイメージを付与できる。「或る夜の出来事」のクラーク・ゲーブルも「ローマの休日」のグレゴリー・ペックも、金のない少し崩れたジャーナリストの役を生き生きと演じていた。

グレゴリー・ペックという俳優は大根役者と言われていたらしいが、人望のある人だったらしく、後年、俳優協会か何かの会長を務めた。僕は「子鹿物語/THE YEARLING」(1947/128分)と「アラバマ物語/TO KILL A MOCKINGBIRD」(1962/129分)で演じた誠実な父親像がそのまま彼のイメージになっていて、とても好きな俳優だ。

「紳士協定/GENTLEMAN'S AGREEMENT」(1947/119分)での硬派のジャーナリスト役も忘れられないし、「ナバロンの要塞/THE GUNS OF NAVARONE」(1961/144分)のような戦争映画や「大いなる西部/THE BIG COUNTRY」(1958/167分)のような西部劇でも、インテリジェンスあふれる誠実な役柄を演じた。

昔の映画には「ああいう立派で誠実な人間になりたい」と思わせる、生き方のモデルになるような登場人物がいっぱいいたものだ。最近の映画は「あんな奴にだけはなりたくない」と思うキャラクターばかりである。これは年寄りのぼやき、ですけど。

●前半はコメディで後半はロマンチックな悲恋物語

「ローマの休日」を見直して気付いたのは、グレゴリー・ペックのコメディ演技のうまさである。ほんの少し目をまあるくしたり、片方の眉だけ吊り上げたり、オーバーな演技ではないが、その一瞬の表情や仕草で笑わせてくれる。

俳優はコメディ演技ができて一人前と言われている。シリアスな演技や二枚目の演技は作りやすいのだが、わずかな表情の変化と仕草だけで笑わせるのはむずかしい。こういうのをやらせると、ジャック・レモンやトニー・カーチスはうまかった。ただ、彼らは少しオーバーに演じても不自然ではなかった。

ペックは完璧な二枚目過ぎるのだ。彼がオーバーなコメディ演技をやると、かえって不自然で嫌みになってしまうだろう。それに前半でオーバーに演じると、後半の王女とのロマンチックな悲恋ムードを醸し出すことができなくなる。

「ローマの休日」の凄いところは、前半はコメディであり、後半はシリアスでロマンチックな悲恋物語になっていることだ。そのふたつの世界を融合させているのが、親しみやすい二枚目を演じたペックの存在である。

むずかしい役柄をペックは見事にこなしている。いや、完璧といっても過言ではない。最初にアン王女を見かけるくだりからして、見事なものだ。ポーカーで負けてアパートへ帰る途中、噴水の脇で寝込んでいる若い女を見付ける、その表情でまず笑わせる。一度は行き過ぎるのだが、少し気になって振り返る。

その時、寝返りを打ったオードリーが道路へ転げ落ちそうになるので、慌てて手を差し伸べるが、寝言でオードリーが「大儀であった」みたいなことを喋り、それに戸惑いながら反応するおかしさ……。

彼は身なりの良い若い女が酔っ払って(と思っている)道ばたで寝込んでいることに戸惑い、放ってもおけず、しかし、自分が世話をするのも迷惑だという気持ちを面白おかしく演じている。その人の良さも感じさせながら。

この後、イタリア人のタクシー運転手とのやりとりや、アパートについて部屋に入るまでのくだり、部屋の中でのベッドの取り合い、翌朝、新聞社に出て初めて王女だと知ってからアパートに取って返すシークェンス、相棒のカメラマン(エディ・アルバート)とのからみまで一気に笑わせてくれる。

カメラマンがなかなかやってこないので、オードリーが髪をカットしている間に旅行に来ている女学生の集団の所に行き、ひとりの女の子から強引にカメラを借りようとして女教師に睨まれ、すごすごと引き下がるところなど、僕は植木等の「こりゃまた、シツレーいたしました」という例のコントを思い出してしまった。

誰だ、ペックが大根だなんて言った奴は!!

●王女として縛られた人生を送るオードリーの悲劇

映画がロマンチックな悲恋物語の様相を帯びてくるのは、ローマ観光の後半からである。オードリーがヴェスパを運転して大騒ぎになり、警察につかまった後、「結婚するので教会へ急いでいた」という嘘の言い訳で釈放になり、ペックとオードリーを町の人々がイタリア人らしい陽気さで祝福して去った後の展開である。もちろん、この嘘もふたりの気持ちの伏線になっているのだ。

次に、あまりにも有名になってしまった「真実の口」のシーンへと、映画は進む。嘘を付いているアン王女は、嘘つきは手を喰われてしまうという「真実の口」に恐る恐る手の先を差し入れる。そのシーンのサスペンスは、さすがにワイラー監督だと思う。ワイラーはシリアスな映画の方が多い監督である。

ペックの方も王女だと知りながら特ダネのために付き合っているのだから、嘘を付いている後ろめたさからなかなか手を差し入れられない。しかし、この後、手を喰いちぎられた演技をするペックのうまさは、世の二枚目を気取る若い俳優たちに爪の垢をせんじて飲ませたいほどである。

この後に続く「祈りの壁」で、映画は一気に王女として縛られた人生を送るオードリーの悲劇へと転換する。彼女は「私の望みは叶わない」とさみしくつぶやくのである。たった一日の「ローマの休日」であることを彼女は自覚している。その王女の横顔を見つめるペックは、すでに特ダネを狙う新聞記者の顔ではない。

悲しいことに、この段階ですでに二人は惹かれ合っている。別れの予感が観客を切なくさせ始める。続く船上のダンスパーティで、オードリーは「あなたって瓜ふたつよ」と意を決してペックに告白するのだ。

カメラマンのエディ・アルバートが初めてオードリーに会った時に「あんたって瓜ふたつだな……(アン王女に)」と言いかけてペックに脚を蹴られ、「瓜ふたつって、アメリカでは『あなたは素敵だ』という意味なんだ」とペックが誤魔化すシーンがあるのだが、もちろんそれが伏線になっている。

この後のシークレットサービスたちを相手にした乱闘、対岸に泳ぎ着いた後の抱擁とキス、アパートでの別れを自覚した抱擁、タクシーの別れ、その後のペックと編集長とエディ・アルバートのからみ、迎賓館に帰った王女のシーンと続き、最後の迎賓館での記者会見となる。
この記者会見のシーンが完璧である。オードリーもペックも顔が違って見える。完璧な美男美女だ。初めて真実を知る王女。だが、記者としての発言、王女としての発言でしか互いに真意を伝えられない。しかし、ふたりはわかりあったのだと観客には思わせてくれる。

●ラストシーンの見事さで完璧な映画に

この映画を見終わって、人々はどのような気持ちになるのだろうか、とよく考える。単純なハッピーエンドではない。だが、幸せな気分にしてくれる映画でもある。

人々は、切ないながらも幸せな映画を見たと思って映画館を出ていくだろうか。いや、もう一度見たいと思うのではないだろうか。結末を知って見ると、この映画は違う様相を見せてくれる。

人気絶頂のジュリア・ロバーツとイギリス俳優のヒュー・グラントが共演した「ノッティングヒルの恋人」(1999/125分)という映画がある。イギリスのノッティングヒルという町で本屋を営む男が、ある日、ハリウッドの人気女優と知り合い恋に落ちるという設定だ。
この映画は「ローマの休日」を下敷きにしている。現代の王女は、ハリウッドの人気女優なのである。

とぼけた二枚目のヒュー・グラントの個性もあって、僕はこの映画を好きなのだが、最後になかなか楽しいシーンを見せてくれる。人気女優を振ってしまって後悔しているグラントを仲間たちが大騒ぎでロンドンまで送り、グラントはジュリアの記者会見場に潜り込む。

彼は手を挙げて、質問をする。公式な質問のようでありながら、彼自身の心情が伝わる言葉である。それに対して女優も記者会見の答えのように応じる。間違いなく、このシーンは「ローマの休日」へのオマージュである。

「ノッティングヒルの恋人」は、現代の話だから「ローマの休日」のようなプラトニックラブではない。ジュリア・ロバーツは内気なグラントを積極的に自分のベッドに誘うし、グラントのベッドに自ら忍んでくる。

だが、最近見たロマンチック・コメディでは出色の出来だと思う。メグ・ライアンがラブ・コメの女王と呼ばれているが、ジュリアも負けてはいない。ラストはジュリアとグラントは結ばれてハッピーエンドになる。世界中の男が憧れる女優とイギリスの田舎町の本屋の亭主が結婚する設定は夢物語ではあるが、「ノッティングヒルの恋人」はそう終わるしか方法はない。

同じように「ローマの休日」は、悲恋で終わるしかない。別れの切なさを噛みしめつつ、ペックは長い長い迎賓館の廊下を靴音をたてて歩いていく。その姿を仰角気味のカメラが移動撮影しながら捉える。あの長い移動シーンがなければ、観客はきっと気持ちの整理がつかないのだ。

最後に観客をどのような気持ちで劇場から送り出すか、そのことまで配慮した完璧な映画が「ローマの休日」なのである(と僕は思っている)。

この映画が嫌いな人って、いるのだろうか?

■2001年1月19日号

十河 進【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、編集者として過ごす。現在は、管理部門に勤務。

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筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0783  2001/01/19.Fri.発行より転載
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