03/12/26掲載
十河 進
たとえ40-0でも諦めるな!
●リゾートホテルでナイターテニス
一度だけテニスをやったことがある。10年ほど前のことだ。沖縄・石垣島のオーシャンビューのリゾートホテルのテニスコートだった。それもナイターテニスである。カクテル照明の中でダブルスをやった。
沖縄までロケに行く(行ける?)ことはほとんどないのだが、その時はカメラマンの事務所がJALのタイアップと石垣島のホテルのタイアップをとってきてくれたので実現した企画だった。JALは半額、ホテルはスタッフとモデル総勢6人の4泊分の宿泊代と食事代を提供してくれることになった。
モデルは、タレント事務所が売り込みに来たミス少年チャンピオンと準ミス少年チャンピオンだった。こうした娘はほとんど素人で何も教わっていないから、モデルを頼んだ方がいいのだが、モデル二人を5日間拘束するほどのギャラは払えなかった。
案の定、ミス少年チャンピオンたちはおじさんスタッフにはなじまず、夕食を終えると早々に部屋に引き込む有様だった。残ったのは僕と編集部の先輩とカメラマンとアシスタントの4人である。
3日目くらいになると、もうあまりやることもなくなる。そこで「テニスでもやろうか」という話になった。そのリゾートホテルにはスポーツインストラクターがいて、撮影にもいろいろ協力してもらっていた。そのインストラクターに指導して貰えることになった。
夜のコートは誰も使っていなかった。インストラクターが照明を入れると、鮮やかな緑のアンツーカーが浮かび上がった。初めて本格的なテニスラケットを持ってコートに立った僕は、ロバート・カルプになった気分だった。
ロバート・カルプといってもわかる人はあまりいないと思う。昔、テレビシリーズで「アイスパイ」という番組があった。白人のロバート・カルプと黒人のビル・コスビーがコンビを組んだスパイの話である。
そのふたりはプロテニスプレイヤーを隠れ蓑にして各国を渡り歩く設定だったから、いつもテニスウェアで登場するし、頻繁にテニスシーンもあったのだ。まあ、僕とテニスの接点など、それまでは「アイスパイ」くらいのものだった。
僕以外の3人は、みんな一応のテニス経験はあるようだった。そこで、いきなりラリーを始めたのだが、僕の打つボールはすべてオーバーフェンスになってしまう。野球なら特大の場外ホームランだが、テニスではそういうのはまったく相手にして貰えないらしい。
インストラクターがやってきた。「あのね、テニスは上に打っちゃ駄目。下に叩きつけるんです」という。その指導に従って僕は叩きつけた。すると、ボールは今度はネットの手前でバウンドし、勢いがよいので高く上がり相手のコートに入った。
再びインストラクターがやってきた。「あのね、それじゃあ、卓球のサーブになっちゃうでしょ。ネットを越して相手のコートの中に叩きつけるの。その時にガットを上に向けて打たないこと。わかった!!」と怒鳴った。何も怒鳴るほどのことでは……、と僕は口を尖らせた。
その後のことは、あまり書きたくない。自慢じゃないが、運動神経はあまりよくないのだ。といって、そんなにひどくもないけど。ただし、翌日、ホテルのおばさんは大量のテニスボールがプールに浮かんでいるのを、不思議に思ったかもしれない。
●コートサイドで美人プレイヤーを撮影
取材で東レ・パン・パシフィック・テニストーナメントに入れてもらい、コートサイドから撮影したことがある。前夜のレセプションにも潜り込み、美人プレイヤーと評判のアメリカ人選手(名前は忘れた)と握手するシーンも撮影させてもらった。
その時は「テニス撮影の現場を体験する」という取材だった。しかし、コートサイドでも観客席でも試合が始まると、絶対に移動してはいけないと言われた。観客席の廊下を歩いている時にラリーが始まってしまうと、そこで止まったままいなければならないのだ。何だか「ダルマさんが転んだ」みたいだなあ、と思った。
観客は身を動かさず顔だけでボールを追う。試合を見ているより、観客を見ている方が面白かった。何だか変なスポーツだなあ、というのがその時の印象だった。それに、カウントの仕方がよくわからなかった。
15-0、30-0の次が、なぜか40-0になる。0をなぜ「ラブ」と言うのかも気になった。ラブはゼロであるということか。つまり愛は不毛であると言っているのだろうか、などと本気で考えたものである。
樹村みのりに「40-0(フォーティー・ラブ)」という40ページのマンガ作品(初掲載は月刊ミミ1977年2月号)がある。樹村みのりさんは僕より二歳年上の漫画家で、15歳でデビューし20歳前後で月刊COMに「おとうと」と「解放の最初の日」という素晴らしい作品を描いた。「解放の最初の日」を僕が読んだのは19歳か20歳の時だと思うが、一度で印象に残った。
一時期は青年漫画誌にも描いていたことがある。ヒロインが成り行きで結婚するストーリーの「わたしの宇宙人」(16ページ/1977年・ビッグコミックオリジナル初掲載)という短編は、僕とはほとんど趣味が合ったことがないカミサンでさえ好きなマンガで、これも心暖まる短編である。
さて、「40-0」はアメリカの大学生アーサーが主人公だ。樹村作品ではおなじみの繊細で優しくて勉強好きで真面目な青年という設定だ。彼は論文の下調べのために資料が豊富にあるという田舎の大学町へ一年間滞在することになる。
彼は父の古い友人の医者の家に下宿し大学の資料室に通う傍ら、子供たちのテニスのコーチを引き受けることになる。しかし、彼が確保しテニスコートにした空き地を遊び場にしていたグループがいた。そのグループのリーダーは男の子たちを従えた12、13歳のフェンという女の子だ。
フェンにテニスの素質を見いだしたアーサーは、フェンをコーチする。フェンはみるみる上達し、アーサーが連れていったプロプレーヤーの試合を見て「すごいね、先生、あの人たち、みんなすごいんだね」とため息をつく。
だが、ある日、フェンはテニスの練習を休む。心配したアーサーはフェンの家を訪ねるが、そこにいたのは生活の苦労に疲れ、酒浸りになっているフェンの叔母だった。叔母は、フェンがアーサーのクラスメイトの大学生にレイプされ、その日も迎えに来たその男についていったと語る。
──あなたにあの子を育てる資格はありません。お酒はやめることですね。
──きちんとした服を着て人にお説教できるなんて、よっぽどご清潔でよいご身分でこざいますこと。あんたも私と同じめにあったらいい。私と同じだけ苦しんでみたらいい。
──たぶん、あなたのおっしゃることは正しいんでしょう。でも、フェンはあなたの不幸に与えられた債権ではありません。
アーサーはフェンとクラスメイトを見付け、その男を自分の拳の骨が折れるほど殴る。フェンを自分の下宿に連れていき医者に診察してもらう。「なぜ、ついていった」と聞くアーサーに「今度はお金をくれるっていったの。だって、テニスの新しいボール、買えるでしょ」とフェンは答える。
●繊細で傷つきやすく人の心の動きに敏感な心優しい主人公たち
樹村みのりのマンガの主人公たちは、みんな繊細で傷つきやすく、人の心の動きに敏感で心優しい。「40-0」では、アーサーは一回だけ人を殴るが、それは20数年の彼の人生で初めてのことだろうとわかる。彼はまったく暴力的な人間ではない。樹村みのりが描く主人公たちほど、暴力の似合わない存在はない。
彼らは、世の中の悪意や理不尽な暴力に傷つき、精神さえ狂わせてしまうことがある。彼らは一時の感情で放ってしまった自らの言葉にさえ傷つくのだ。アーサーは「フェンのおばさんに、あんなひどい言葉、よく言えたものです」と自分に向かって言う。彼は人に優しくなかった自分を許せないのである。
樹村みのりの主人公たちは、男も女も少年も少女もガラスの心を持ち、他人への優しさに充ちているのに、己の優しさによって傷ついたり、他人の心遣いの奥の気持ちを読みとって傷ついたりする。
樹村みのりのマンガの魅力は、ナレーションの深さにある。もちろん、実際に登場人物たちが直接会話するセリフだって素晴らしい。だが、多くは主人公の一人称で語られるナレーションの微妙な人間心理の振れのようなニュアンスの再現が見事なのだ。
こういうナレーションが書けるのは、他に山田太一くらいしか思い付かない。山田太一の主人公たちもよくナレーションで語るが、現実に発せられるセリフとナレーションの微妙なブレの中に、人間洞察の深さを感じる。
樹村みのりさんは、おそらく「相手が今、自分の言葉に対してどう思っただろう」と相手の気持ちを読み取りながら会話をするタイプの人なのではないだろうか。また、相手の一言一言に本当の意味を読み取ろうとする。そうでなければ、あんな主人公たちを創り出すことはできないはずだ。
アーサーもそういう人間だ。彼は酔って医者に話し始める。
──それがフェンの会心の一打だとわかった。あの子はぼくにふりむく。ぼくにはわかっている。フェンはこういいたいのだ。「ああ、先生、これね。先生がいつも言っていることはこれね」「そうなんだよ」ぼくはあの子を見る。
「そうなんだよ、フェン、そいつだ。ブラヴォオ」なのに暴力は一瞬であの子をこわせる。
アーサーは医者の家のテラスの揺り椅子に座り、ウィスキーを呷りながら話し続ける。それを父親のような慈愛に満ちた眼差しで医者は見つめている。
──ぼくは教える。ボールから目をはなすな、フェン。正しくかまえろ。腕を充分にひけ。なのに暴力は一瞬であの子をこわせる。ぼくは教える。ボールから目をはなすな、フェン。正しくかまえろ。たとえ40-0(フォーティーラブ)からだってあきらめるな。
アーサーはそのまま椅子で眠ってしまう。彼の言葉を途中からやってきたフェンは聞いている。彼女は医者に向かって言う。
──彼はいい人よ。彼はばかだわ。
私、あんなことで負けたりしない。
この後、エピローグ的なストーリーが3ページ続き、ハッピーエンドで気持ちよく終わってくれる。しばらく幸せにしてくれるマンガである。世の中は捨てたモンじゃないと思わせてくれる。アーサーやフェンのような人間ばかりだったら、この世に争いはなくなるんじゃないか、と思う。
僕は、このマンガを今までに何度読んだことだろう。「たとえ40-0(フォーティーラブ)からだってあきらめるな」という言葉も時々思い出す。それは自分の生き方を励ます言葉でもあるし、アーサーやフェンの存在を思い出し自分を戒める言葉でもある。
■2001年2月9日号
十河 進【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、編集者として過ごす。現在は、管理部門に勤務。
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筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】No.0798 2001/02/09.Fri.発行より転載
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