04/02/06掲載
十河 進
悪女に溺れる
●美しく蠱惑的な女はみんな悪女?
子供の頃、僕は「女の人はみんな優しくて清潔好きで整理整頓がきちんとできる」ものだと思っていた。その幻想がいつ壊れたか、あまり記憶にはないのだが、中学生の頃にミステリを愛読し始め、世の中には「悪い女」がいるのだと知ることになったのがきっかけだったと思う。
悪女ものというジャンルがミステリにはある。僕が初めて読んでショックを受けた悪女ミステリは、ジェームズ・ハドリー・チェイスの「ダブル・ショック」(田中小実昌・訳)だった。
ヒロインの名前はギルダ。リタ・ヘイワースを一躍有名にした「ギルダ/GILDA」(1946/109分)も男を狂わす魅惑的な女の話だったけれど、おそらくチェイスはリタ・ヘイワースの「ギルダ」のイメージを借りたかったから、ギルダと名付けたのだろう。
リタ・ヘイワースには有名なセリフがある。
──男たちはギルダと寝て、私と目覚める。
「ダブル・ショック」の主人公はセールスマン。富豪の家で若く魅惑的な妻ギルダに会い、のめり込んでいく。やがて二人は下半身不随の夫を共謀して殺し保険金も手にするのだが、主人公はギルダに騙されていたことに気付く。
何だか、聞いたことがある話だと思いませんか。同じようなストーリーとしてはビリー・ワイルダー監督の「深夜の告白/DOUBLE INDEMNITY」(1944/103分)やローレンス・カスダンが監督デビューした「白いドレスの女/BODY
HEAT」(1981/113分)などがある。
「ダブル・ショック」で何がショックだったかというと、それまで僕は「この世の中には本当の悪人はいなくて、つい罪を犯してしまった人だけなのだ」と思っていたのだが、「この世の中には本当の悪人がいて、それがしかも女」であることも有り得るのだと知らされたからだ。
女性の中にも「だらしがなくて、すぐに男を誘惑し金のためなら何でもする」人がいるということが、僕には衝撃的だったのである。こういう人生の真実は、早くに知っておく方がいいのだが、僕がそれを認識した13歳という年は果たして早かったのか、遅かったのか、その後の人生を振り返ってみても、よくわからない。その人生の真実を知ったことは、現実の人生ではあまり役に立たなかった。
しかし、中学生の頃の僕は悪女たちに惚れ込んでしまったようなのだ。なぜかというと、彼女たちはみんな魅惑的で美しく、そして、男を手玉に取るハードボイルドな存在だったからである。映画や小説の中で出会う分には、彼女たちは危険な存在ではなかった。
彼女たちはファム・ファタール(妖婦)─男を破滅させる運命の女─である。こうしたヒロインはミステリによく登場するが、文学作品では「カルメン」や「マノン・レスコオ」のヒロインたちが有名だ。
これだけ繰り返し、男を破滅させる魅惑的な女の話が小説に書かれたり映画になったりしているのは、男たちが「破滅したくなるほど魅惑的で美しい女に出会いたい」と願っているからに違いない。
●ファム・ファタールを演じる銀幕の悪女たち
映画評論家の山田宏一さんがミステリマガジンに連載していた「映画的な あまりに映画的な美女と犯罪」は一冊にまとまるのを待ちかねて購入した。ファム・ファタール列伝とでも言いたくなるほど銀幕の悪女たちが次々と登場する本である。
その本の中でも再三触れられているのがジェームス・M・ケインの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」である。「郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす/THE
POSTMAN ALWAYS RINGS TWICE」と、きちんと原題のalwaysを訳したタイトルの文庫も出ていたと思うが、一般的には「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で通っている。
僕が初めて「郵便配達は二度ベルを鳴らす」を読んだのは、中学生でハードボイルドの古典を読み漁っていた時のことだ。新潮文庫だったと思う。薄い本で、中編小説のジャンルに入るだろう。この本はミステリとしての扱いではなく、犯罪を描いた文学作品として昔から評価されている。
確か、この小説にはどこにも郵便配達は出てこなかったはずだ。読み終わった僕は「????」という感じだった。そのタイトルの比喩に気付かなかったのだろう。もっとも、そのタイトルが何を表しているか、昔、何かの解説で読んだことがあるが、忘れてしまったので未だによくわからない。
原作が出たのは1934年だ。1929年の大恐慌以来、アメリカは不況のまっただ中にあり、失業者や浮浪者が溢れていた。ホーボーがいっぱいいた頃の話だ。主人公も失業者の流れ者である。
この小説は4度、映画化されている。僕が見たのは1946年のハリウッド版(ラナ・ターナー主演)と1981年版(ジャック・ニコルソンとジェシカ・ラング主演/ボブ・ラフェルソン監督)の2本だ。
その他に、かのイタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティがファシスト政権下の北イタリアでオールロケを敢行した処女作「郵便配達は二度ベルを鳴らす/OSSESSIONE」(1942/117分)があり、もう一本はフランスのピエール・シュナルという人が映画化しているらしい。
流れ者がハイウェイを歩いてやってくる。ドライブインのような食堂があり、ギリシャ人のニックと若い女房コーラがふたりでやっている店だ。流れ者は店で働くことになり、やがてコーラといい仲になる。そして、ふたりは邪魔なニックを殺害しようとする……。
現在から見れば使い古されたストーリーかもしれないが、このストーリーパターンを作ったのが「郵便配達は二度ベルを鳴らす」なのである。
僕はモノクロームの映像が印象的なラナ・ターナー版の方をよく覚えている。コーラが登場するシーンでラナ・ターナーは真っ白なショートパンツをはき、太股を大胆に晒していた。
主人公がひと目で魅惑されてしまうシーンだから、それだけの説得力がある女優が必要だ。
ラナ・ターナーの危険な美しさは特筆ものだった。原作者のケインはラナ・ターナーをコーラを演じる理想的な女優と見なしていたという。
●官能の罠とでも言いたいジェシカ・ラング
ボブ・ラフェルソンが監督したジェシカ・ラング版では、コーラがどんな風に登場したのかは、まったく覚えていない。ただ、全編に漂う官能の匂いが印象に残っている。
僕が強烈に覚えているシーンはふたつだけだ。ひとつは、食堂に近づいていくジャック・ニコルソンのシーン。運命の扉に近づく主人公なのだが、そのことをまだ彼自身は気付いてはいない。しかし、観客にはこれから起こる運命的なドラマを予感させる印象的なシーンだった。
もうひとつは、主人公が初めてコーラとセックスをするシーン。ラナ・ターナーと違って、ジェシカ・ラングはエプロンを付け、胸がはだけ気味の姿で登場し、生活の匂いを漂わせるコーラだった。年上の夫との生活に疲れ、町から離れたハイウェイ沿いの食堂の生活に飽き、夫との性生活に不満を持っている雰囲気が見事に出ていた。
ある日、主人公はキッチンの調理台の上で、無理矢理コーラを抱く。ただ、それを待っていたかのように調理台の上に押さえ込まれながらコーラは身悶えし、ナイフやスプーンなどが金属音をたてて落ちていく。
ジェシカ・ラングの演技があまりにうまかったのか、まるでニンフォマニアのように見えた。男を待ちかねている女、性的に飢えているという強烈な印象を与える女だった。山田宏一さんは「絶望的なまでにエロチックな人妻」と形容している。
男が殺人を犯すほど溺れる女、破滅してもいいと思わせる女を観客が納得するように描くのはむずかしい。ボブ・ラフェルソン監督は、官能の罠とでも言いたくなるほどのエロティシズムをヒロインに与え、それを間接的な表現で全編に漂わせた。
だから、ヒロインの罠に落ちた主人公は次第にニック殺しへ傾いていく。もちろん、怪優ニコルソンの演技力があってのことだが、男を自分の肉体で絡め取るような蠱惑に充ちた美しくエロチックなジェシカ・ラングの人妻ぶりが殺人に至るドラマを納得させてくれる。
ちなみに、前述のビリー・ワイルダー監督「深夜の告白/DOUBLE INDEMNITY」(1944/103分)の原作「倍額保険」もジェームス・M・ケインの小説である。保険勧誘員が知り合った人妻と共謀し保険金殺人を計画し夫を殺害するストーリーだ。脚本をレイモンド・チャンドラーが書いている。
ジェームス・M・ケインは、妻と愛人が夫を殺すストーリーパターンに固執する理由でもあったのだろうか。今でもよく起こっている典型的な事件だが、実を言うと僕はこういったストーリーが苦手だ。
少年の頃に知った小説や映画の中の悪女は大人の魅力に溢れ「いいな」と思っていたのだが、現実に長い時間を生きてきて女性に対する思い込みや幻想がなくなった現在、小説や映画の中でも魅力的な悪女に出会わなくなった。
それに、愛人と妻が共謀する夫殺しなどのストーリーを読むと、どうしても妻に裏切られる夫に同情してしまう。夫なんて結婚という現実に耐えて生きていて、たまにミステリの悪女ものを読みながら「こんな女に溺れてみたい」などと叶わぬ夢を見ている存在なのである。
小説や映画には殺されても仕方のないような夫も登場するけれど、愛人と共謀して殺すなんて可哀想じゃありませんか。それに、妻と愛人に殺された夫は、世間からはあまり同情されない。むしろ間抜けだなぁ、なんて思われてしまう。昔から寝取られ男(コキュ)は間抜けな役だしね。
そう言えば、コキュの悲しみ、というのは昔から日本文学の重要なテーマだったけれど、最近、そんなものをテーマにする作家もいなくなってしまった。あれは、貞操と姦通という対立概念が存在していた時代の話だから、現代では意味がなくなってしまったのだろう。
■2001年3月23日号
十河 進【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、編集者として過ごす。現在は、管理部門に勤務。
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筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0826 2001/03/23.Fri.発行より転載
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