04/02/20掲載
十河 進
怒れる若者もmarried peopleになる
●若者たちの怒り
ジュリア・ロバーツが「エリン・ブロコビッチ」(2000)でアカデミー主演女優賞を獲得し舞い上がって挨拶をしていた。あんなに嬉しそうな人を見ていると、こちらまで何だか感動してしまう。幸せそうで、思わず「よかったね」と声でも掛けたくなった。
しかし、ヒロインのボスの弁護士役で助演男優賞にノミネートされていたアルバート・フィニーは今回も落選し、これでノミネート回数の記録だけを更新した。「エリン・ブロコビッチ」では、でっぷりと太った老獪な弁護士役だったけれど、やはりフィニーはうまい。イギリスの名優である。
アルバート・フィニーで思い出すのは「土曜の夜と日曜の朝」だ。アラン・シリトー原作で「怒れる若者たち」(アングリー・ヤングメン)と言われた世代の代表のような映画である。
ジョン・オズボーンの戯曲「怒りをこめて振り返れ」(LOOK BACK IN ANGER)というタイトルにちなんで、1950年代に登場したイギリスの文学ムーブメントは「怒れる若者たち」と呼ばれるようになった。同じ頃、アメリカではビート・ゼネレーションと名付けられたムーブメントが起こっていた。
映画版「土曜の夜と日曜の朝/SATURDAY NIGHT AND SUNDAY MORNING」(88分)は1960年に制作されたモノクロームの映画だ。僕はもうずいぶん昔に見たから、ほとんど細部は忘れてしまった。悪漢小説(ピカレスク・ロマン)の一種で、主人公の工員アーサーは、酒を飲み人妻を誘惑し喧嘩をする。
工員アーサーは、月曜日から土曜日まで工場で働き、土曜の夜に一週間の憂さを晴らすように無謀な行動をする。彼はやり場のない怒りにとらわれていて、すべての権力に反抗する。
イギリスは徹底的な階級社会だ。彼の怒りは、しがない工場労働者から一生抜け出せないことに対するものなのかもしれない。徹底した階級社会では、どんな夢も見果てぬ夢でしかない。先に何の可能性もないのなら、労働の憂さを晴らすように無茶なことをやり続けるしかないではないか。
一時期、僕はアラン・シリトーを愛読した。特に「長距離走者の孤独」はお気に入りだった。この短編もトニー・リチャードソン監督で映画化され、1962年に「長距離ランナーの孤独/THE
LONELINESS OF THE LONG DISTANCE RUNNER」(103分)として公開された。
主演のトム・コートネイは、その後、あまり映画には出ていないが、共演にバネッサとリンのレードグレーヴ姉妹の父親である名優マイケル・レッドグレーヴが出ている。
盗みをして感化院送りとなった少年は、その足の速さを買われてクロスカントリーの選手にされる。彼の足が速くなったのは、子供の時から食べ物などをかっぱらって逃げていたからなのだが、院長は感化院の名誉のために主人公に走ることを強制する。
だが、彼は自分が一番であることを証明し、ゴール直前に次の選手に優勝を譲るのだ。それは、院長という存在に象徴される権威・社会に対する彼の反抗なのである。
そう、「怒れる若者たち」の怒りは閉塞した社会に向けられたものだった。いつの時代でもそうだが、若者たちの怒りは権威や完成された社会や先行する世代、自分に何かを強要する体制に向けられるものである。
●結婚した人々の倦怠
アルバート・フィニーで思い出すもう一本の映画は「いつも2人で/TWO FOR THE ROAD」(1967/113分)だ。僕が初めて封切りで見たオードリー・ヘップバーンの映画である。僕がオードリーのファンになった時、彼女はまだ現役ではあったが、すでに30も半ばを過ぎ汚れ役もやっていた。
「いつも2人で」は「シャレード」に続くスタンリー・ドーネン監督の作品で、現在と過去を巧みに交錯させて構成し、12年間にわたる一組の夫婦の歴史を描いていた。ヘンリー・マンシーニの音楽も心に残った。
ほとんどすべてがヨーロッパを旅するシーンで構成される。学生時代にふたりが初めて出会う貧乏な旅、オンボロなMGでの新婚早々の仲むつまじい頃の旅、友人夫婦とその子供との5人での旅、倦怠期になってからのふたりの旅、そして現在の冷え切ったふたりの旅が時間軸に沿ってではなく、ほとんどアトランダムに描かれる。
僕は高校生の時に見て、その洒落た時制の描き方にすっかりまいってしまった。考えてみれば映画的な、あまりに映画的な描き方で、もしかしたら僕が「映画の文法」を意識した最初の映画だったのかもしれない。
たとえばこんなシーンがある。
仲間と別れてふたりだけで貧乏旅行をすることになった若き日のオードリーとフィニーが道を歩いていると突然の雨、ふたりは木陰に逃れて走ってくる車に乗せてもらおうと親指を立てるが、車はふたりを無視して走り去ってしまう。
次のカットはその車の中だ。倦怠期の夫婦が口論をしながら運転している。それは結婚して10年経ち、夫の浮気を知って自分もフランス男と不倫をしているオードリーとフィニーである。そんな風にいくつかのふたりの旅はすれ違い交錯し、時には錯綜するのである。
この映画のテーマは「結婚とは何か」である。最初から「マリッジ」という言葉が頻繁に出てくる。そして「マリッド・ピープル」という言葉も……。
村上春樹に「僕も今や married people の一員になった」という映画エッセイがある。初期のエッセイで1982年に「私の一本の映画」(キネマ旬報)という本の中の一編として書かれたものだから、彼のエッセイ集にはおそらく入っていないと思う。
そのエッセイの中で村上さんも書いているが、新婚旅行中のふたりがホテルの階段を昇りながら、レストランで無言で向かい合ったまま食事をしている男女を見て「どうして話をしないのかしら」とオードリーが聞き、フィニーが「they
are married people」と答えるシーンは、やっぱり印象に残る。
●無言のまま向かい合う食事とは何か?
ふたりが出会った時、フィニーはヨーロッパ建築を見て回っている貧乏な建築家のタマゴで、オードリーは仲間と旅行をしている女子大生である。ふたりは知り合い愛し合う。結婚し、貧しいながらもオンボロな車で旅行に出る。その時に知り合ったフランス人の金持ち夫婦にオードリーはフィニーを「優秀な若手建築家」として売り込む。
それから10年が過ぎて、フィニーはその金持ちの仕事をきっかけにして裕福な建築家になっている。オードリーは贅沢ができる妻の身分だが、ふたりの仲は冷え切って罵り合ってばかりだ。
妻は夫が仕事ばかりなのが気に入らない。子供にも冷たいと思っている。「僕を売り込んだのは誰だ」と夫は妻の不機嫌さに苛立つ。オードリーがフランス男に口説かれ夫への当てつけのように一夜を共にした翌朝、ふたりの前に現れたフィニーは妻と和解するのだが、さらにその数年後のふたりは前にも増して憎み合っているように見える。
今やオードリーとフィニーも無言のまま向かい合って食事をするようなmarried peopleになっているのだ。一度は妻を許したものの、結局、いつの間にか再び相手を傷つける言葉として「あいつと一緒になってればよかったんだ」みたいなことをフィニーは言う。
現在のオードリーは、その不倫相手とパーティで再会し夫に見せつけるように仲良くダンスをする厭な女になっている。妻との仲は冷え切っているくせに、フィニーはそんな妻が気になってならない。
そんな夫婦でありながら、ふたりは別れきれない。ふたりは言葉で傷つけ合う。だが、ふたりの背後には長い歴史がある。かつて愛し合ったという記憶がある。そこには、愛し合い十数年を共にしてきたふたりの人間がいる。その過去を簡単に精算することはできないのだ。
夫婦を長くやっている人間なら、このあたりの機微が理解できると思う。もちろん、僕は初めて見た高校生の時にはよくわからなかった。村上さんと同じように「そういうものかな、そういうものなんだろうな」と思っただけだった。
しかし、数年前に見直した時には、冷え切った夫婦の現在の話が非常に理解できたものである。我が家の夫婦関係が冷え切っているというわけではないけれど(念のために断っておきます)、うちのカミサンは元々無口で昔からあまり無駄話をしない人だから、気が付くと僕らも無言で向かい合って食事していることがある。
昔、「they are married people」のセリフのことをカミサンに話したことがある。その後、カミサンはテレビ放映で「いつも2人で」を見て気に入ったようで、ふたりで無言で食事をしている時などいきなり「they
are married people」と言ったりする。そうすると僕は仕方なくニッと笑う。
それは端から見たら変な光景だろうと思うけれど、共通するベーシックな部分があればあるほど簡単な言葉で通じ合うことがあるのだという証明にもなっている。
だからといって、僕のことをカミサンが完全に理解しているとは思えない。どちらかと言えば30年以上付き合っているのに、どうしてこんなに俺のことがわかっていないのか、と唖然とすることの方が多い。
もしかしたら、長い年月をかけて「どんなに身近な人間であっても理解し合えることはない」と確認するのが夫婦なのかもしれない。それは諦めるということではなく「そういうものだ」と素直に受け入れることができる境地になるということだ。
結局、結婚という関係をうまく乗り切った(相手を全的に受け入れる境地に達した)夫婦の象徴が、向かい合いながらの無言の食事なのではないだろうか。長い年月を愛し合い、互いに頼り合い、時には傷つけ合って持続してきた夫婦がたどり着くのは、無言で食事をする関係なのかもしれない。
もっとも、その歴史や内実については夫婦の数だけの事情があるのだろうけれど……。
we are married people
■2001年4月6日号
十河 進【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、編集者として過ごす。現在は、管理部門に勤務。
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筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0836 2001/04/06.Fri.発行より転載
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