04/03/05掲載
十河 進
ピアニストを撃つな
●場末のカフェのピアノ弾き
「ピアニストを撃て」(1960)という映画が気になっていた。昔のことだから、一度見逃した映画はなかなか見られないし、地方都市にはマイナーなフランス映画はあまり回ってこなかった。
ヌーベルヴァーグの旗手と言われたフランソワ・トリュフォーの映画も映画雑誌などで騒がれていた割りには、僕が育った地方都市ではまったく公開されなかったのではないだろうか。まして、シャルル・アズナブール主演作では客もこないと判断されたに違いない。
アズナブールはシャンソン歌手としては有名だが、当時、人気のあったアラン・ドロンやジャン・ポール・ベルモンドとは比較にならない。そのうえ、モノクロームの映画である。
ミステリ好きのトリュフォーが「大人は判ってくれない」(1959)と「突然炎のごとく」(1961)の間に作った長編2作目の作品が「ピアニストを撃て」である。ふたつの名作の誉れ高い作品に挟まれ「ピアニストを撃て」は、名画座でもあまり上映されてこなかった。
僕が「ピアニストを撃て」を見たいと思ったのは単純な理由だ。ミステリ雑誌で読んだ誰かのエッセイにその映画のタイトルが出てきて印象に残ったからである。つまり、タイトルが気に入ったからなのだ。
結局、見たかったその映画を見たのは数十年も後のこと。ジャズ・ピアニストでエッセイストでもある山下洋輔は「ピアニストを撃て」をもじって「ピアニストを笑え!」というタイトルの本を出しているが、僕は映画より先にそちらを手にすることになった。
「ピアニストを撃て」は、元は有名だったが落ちぶれて場末のカフェのピアノ弾きになっている男が主人公の映画である。彼はピアノ・トリオ編成で客たちの喧噪の中、夜毎ピアノを弾いている。
僕は冒頭のシーンを見て、当時のフランスのジャズ・クラブの雰囲気を想像した。1950年代後半から60年代前半にかけて、フランスではジャズが盛んになる。映画にも頻繁に使われシネ・ジャズとかフレンチ・ジャズとか言われている。
ジャズを使って有名なフランス映画としては「大運河/SAIT-ON-JAMAIS」(1956/97分)「死刑台のエレベーター/ASCENSEUR
POUR L'ECHAFAUD(1957/92分)「危険な関係/LES LIAISONS DANGEREUSES」(1959/106分)「彼奴を殺せ!!〈きゃつをけせ〉/UN
TEMOIN DANS LA VILLE」(1959/91分)「殺られる〈やられる〉/DES FEMMES DISPARAISSENT」(1959/88分)などがある。
「大運河」の音楽はMJQ(モダン・ジャズ・クァルテット)である。「死刑台のエレベーター」はマイルス・デイビスが映像を見ながら即興でトランペットを吹いたという伝説を遺した映画だ。「危険な関係」と「殺られる」はアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの音楽がヒットした。
その当時、パリのジャズクラブで伝説になったライブもある。たとえば、1959年の4月24日と25日にクラブ・サンジェルマンで録音されたヴァルネ・ウィランのアルバム「BARNEY」は伝説の名盤だ。ピアニストはデューク・ジョーダン。「危険な関係のテーマ」として有名になった「NO
PROBLEM」の作曲者である。
そのアルバムの1曲目は「ベサメ・ムーチョ」だが、客のざわめきを背景にして印象的なデューク・ジョーダンのピアノのイントロでスタートする。見事なピアノ・プレイだ。
●もしもピアノが弾けたなら
ピアノが弾けたらどんなにいいだろうと思っていたことがある。いや、今もそう思っている。大して好きな歌ではないが西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」には共感する部分がある。
僕らの世代には、特に貧乏人だった人間には、ピアノに対する幻想がある。ピアノ→広い庭のある広壮な邸宅→出窓の白いレースのカーテン→深窓の令嬢→薄幸の美少女……というように連想は果てしないのである。事実、僕の周囲でピアノが弾ける人間は金持ちの育ちだ。
向井敏さんが「傑作の条件」という本の中でピアニスト中村紘子の「チャイコフスキー・コンクール」を傑作と評していたので買って読んだが、確かに傑作だった。その後、「ピアニストという蛮族がいる」「アルゼンチンまでもぐりたい」なども続けて読んだ。
ピアノの弾き方をこんなに理論的にイメージ豊かに書いている本を僕は他に知らない。なぜ、日本のクラシックピアノの教育が駄目だったのかも、論理的に納得させてくれる。
ホロヴィッツは鍵盤を引っ掻くように弾いたという。日本のピアノ教育は、真上から指をたたき落とすように弾くことを強いてきたらしい。そのあたりの精神主義的な日本のピアノ教育の歴史も面白かった。
ピアノを弾くのに大きな手は重要なのだろうと思っていたが、反面、ミスタッチしやすくもなる。僕には聞き分けられないが、晩年のホロヴィッツもけっこうミスタッチしていたらしい。そう言えば、数年前、亡くなる直前に日本公演を行ったデューク・ジョーダンもミスタッチが多かった。
実は、数年前、子供たちが使わなくなったクラビノーバ(電子ピアノ)を自室に運び込み、「ジャズ・ピアノ入門」というビデオと教則本のセットを購入した。「ジャズ・ピアノ入門」を一通りマスターすると、バド・パウエル作曲の人気曲「クレオパトラの夢」が弾けるはずだった。
しかし、まず指が動かない。ドレミフォソラシドをどう指で弾けばいいかがわからない。仕方なく、「お父さんのためのピアノ入門」という本を買い込んだ。なぜか当時、お父さんたちはピアノブームだったらしく、本屋にはそんな本が何種類も平積みになっていた。
中には、シールがついていて、そのシールを鍵盤に貼り、楽譜に掲載されている色分けされたシールの順番に弾いていけば、その曲が弾けるというとんでもなく親切な本もあった。「5分で弾けるピアノ本」という売り文句だったが、何だか自尊心に邪魔されて買い損なった。
自尊心がある割りには、ピアノの才能はまるでなかった。指は動かず、結局、人差し指だけでしか弾けない。右手に集中すれば左手は止まる。ブラッド・メルドーという若手ピアニストは右手と左手で異なるメロディーを弾く。それも即興である。天才的と言わざるを得ない。
●海の上のピアニスト
音楽やアートの世界には、天才的な人たちがいる。ちょっとした才能などではない。圧倒的で有無を言わせぬ才能を持つ、神に選ばれた人々だ。その代表的存在はウォルフガング・アマデウス・モーツァルトだろう。彼らの使命は人々に安らぎを与えることである。
「海の上のピアニスト」(1999)の主人公は大西洋航路の豪華客船の中で拾われ船の中で育つが、ある時、一等船室に上がりフロアに置いてあったピアノに惹き付けられ、鍵盤に触ると同時に天才的なピアノ・プレイを披露する。
成長するにつれ、彼は見事なピアニストとなり評判を呼び、夜毎、人々を楽しませ安らぎを与える。時には傷ついた人々の心を癒す。彼は間違いなく、神に選ばれた人間のひとりである。
物語は、うらぶれたトランペット吹きが楽器屋にトランペットを売りにくるところから始まる。彼は最後にトランペットを吹き、そのメロディに魅せられた店の主人が一度割れたものを張り合わせたレコードをかける。同じ曲である。
トランペット吹きはレコードを手に入れた経緯を聞き出し、そのレコードがあったという廃船のある場所へ行く。廃船は翌日に爆破される予定だが、トランペット吹きは「まだ、その船の中には彼がいるんだ」と爆破しようとする男たちを前に回想を始める。長い長い物語である。
回想という物語の構造が、この映画をより印象的にする。その寓話性さえ自然に納得させてしまう。一生、船から降りなかった天才的なピアニストの物語である。1900年、20世紀と共に生まれ、船底で油にまみれて育ち、名前も戸籍もなくこの世に存在しなかった人間である。
音楽というその瞬間にしか存在しないもので彼は人々を幸せにする。評判を聞いたレコード会社の人間が彼の音楽を録音しようと、一度だけレコーディングするが、彼はそのマスターレコードをすぐに割ってしまう。
エリック・ドルフィーが言ったように「演奏の終わった音楽は虚空に消え去り二度と取り戻すことはできない」のである。
ヨーロッパと新大陸の間を数え切れないほど往復しながら、彼は様々な人々を見る。自由の女神を見て誰かが「アメリカ!」と叫ぶ。移民たちは新大陸に夢と希望を託しているのだ。多くの人々の人生を彼は目撃する。
彼は恋をする。一度は、その娘のために船を降りようとするが、彼は降りられない。彼の世界は船の上なのだ。陸は彼にとって異世界なのである。彼はピアノを弾き続ける。人々のために、何より自分自身のために……。
彼は何かの象徴なのだろうか。彼の人生は実に単純だ。船の中が彼の世界のすべてで、ピアノを弾くことだけが彼の人生のすべてだ。戦争も彼には陸の世界の出来事にしかすぎない。彼は多くの人々の人生を目撃するが、自分自身の人生は船の中の世界に閉じ込めているのだ。
だから、廃船の中に潜んだまま彼は船と共に爆死することを選ぶ。トランペット吹きの前に姿を現した彼は、自分が船と共に消えることを願っている。彼は何かの象徴なのだろうか。
もしかしたら彼は音楽そのものの象徴なのかもしれない、と映画を見てから数カ月経って思ったことがある。あるいは音楽というものが象徴する何か、人々に安らぎを与え、傷ついた心身を癒してくれる何か、それがなければ世界は存在しない大切な何か……
静かに音楽を聴いている時、僕はノスタルジーに浸ることもあるし、来し方行く末をぼんやりと思いめぐらせることもある。時にセンチメンタルになり、時には明日に向かう気持ちが湧き起こってくる。
精神にも糧は必要なのである。
だからピアニストを撃ってはいけない。時には撃ちたくなる下手なピアニストがいるにしても……。
■2001年4月20日号
十河 進【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、編集者として過ごす。現在は、管理部門に勤務。
================================================================
筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0846 2001/04/20.Fri.発行より転載
「日刊デジタルクリエイターズ」サイトにバックナンバーはすべて掲載しています
http://www.dgcr.com/
|