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04/03/26掲載

十河 進

ル・カレの迷宮世界

●60年代はスパイの時代

金曜日の号で8月サンタさんとご一緒していた。メーリングリストでお名前は拝見していたが、その由来は「八月のクリスマス/CHRISTMAS IN AUGUST」(1998/97分)からきているのだろうか。まさか去年放映された竹之内豊と中谷美紀のドラマではないだろうなあ。

テレビドラマ「真夏のメリークリスマス」は僕の会社の裏で一日ロケをやっていて社内は少し騒ぎになった。営業部の女性は「キャー、竹之内豊よ」と騒ぎ、編集部の若者は「中谷美紀っす」と窓からずっと眺めていた。僕のデスクの横の窓から見下ろすとモニタが設置されていて、中谷美紀が自分の演技をチェックしていた。

「真夏のメリークリスマス」には社のビルが写っていたらしいが、結局一度も見なかった。しかし、「八月のクリスマス」の方は僕の好きな映画である。静かで何も起こらない物語だ。主演女優のシム・ウナは日本でも人気が出て、昨年は何本か主演作が公開された。

主人公を演じたハン・ソッキュは、後に「シュリ」(2000)で国家の保安のために北朝鮮の工作員相手に銃を撃ちまくっていたが、メガネをかけて、いつも笑顔をたやさなかった不治の病で死に行く写真屋のおじさんの方が僕は好きだった。(もちろん「シュリ」もよかったけれど)

さて、8月サンタさんは熱心なジョン・ル・カレの愛読者であるようだ。僕がル・カレを読んだのは主に60年代。その頃の話をしてみようかと思う。

60年代はスパイの時代だった。ベルリンに壁ができ、東西の冷戦は世界情勢を極度に緊張させた。ケネディとフルシチョフが駆け引きをしたキューバ危機が、その最大の出来事だっただろう。最近、「13デイズ」(2001)として映画化されたが、あの時、小学生だった僕も核戦争を覚悟した。

そんなシリアスな状況をそのままエンタテインメントに反映したのでは読者に受けないと判断したのか、スーパーマン的スパイが活躍するイアン・フレミング原作のジェイムズ・ボンド・シリーズが映画化されることになった。ボンドはスパイの仕事をやっているより、女たちと寝る方が忙しい男である。

007シリーズの第一作が「007は殺しの番号」というタイトルで公開されたのが1962年。第二作目が「007危機一発」というタイトルで「髪」を「発」に間違ったまま公開されたのが1963年だった。(水野晴郎は「敢えて”発”にした」と強弁しているが……)

二作目で大ブレークした007シリーズの二匹目のドジョウを狙って、映画の世界はスパイに席巻された。「磯野家の謎」が大当たりして「謎本」が山のように出版された状況に似ているかもしれない。

ハヤカワミステリではマット・ヘルムの部隊シリーズに力を入れていたが、映画化にあたっては「007はボンドガールでヒットした」と見極めたのか、軟派なディーン・マーチンを主演にしてセクシーな女たちを配したおふざけスパイ映画になった。

ジェイムズ・ボンドをさらにモテモテにしてスーパーマンにしたのが「電撃フリント」シリーズである。主演はジェームス・コバーン。彼はとにかく強かった。屋敷は常にハーレム状態であった。

テレビシリーズ「秘密情報部員ジョン・ドレイク」でシリアスに頑張っていたのは、後に「プリズナーN06」という不可解なシリーズドラマで伝説になるパトリック・マックグーハンである。もちろん、お気楽スパイシリーズ「0011/ナポレオン・ソロ」も人気があった。

まあ、とにかく本屋にもブラウン管にもスクリーンにもスパイが溢れていた。そんなスパイブームをパロディにして短編(タイトルを忘れた)を書いていたのがデビュー間もない筒井康隆だった。家族がそれぞれ別の国に雇われたスパイで、近所の八百屋のおじさんやおばさんもスパイで……というような筒井康隆的設定だったと思う。

●イギリスの伝統から生まれたスパイ小説

スパイ小説の伝統はイギリスにある。どれが最初だとは断定はしにくいかもしれないが、ジョン・バカンの「三十九階段」はスパイ小説の古典として燦然と輝いている。「外套と短剣」と言われたイギリス伝統の冒険小説の流れの中に登場した名作で1915年に書かれた。

「三十九階段」はヒッチコック監督によって「三十九夜/THE 39 STEPS」(1935/88分)として映画化された。ヒッチコック監督は戦前からスパイものも数多く手がけている。

その後、イギリスのシリアスなスパイ小説としては、エリック・アンブラーの「あるスパイへの墓碑銘」やサマセット・モームの「アシェンデン」などがあり、グレアム・グリーンも何作か手がけている。

僕はそれらの古典から体系的にスパイ小説を読もうとしたことがある。中学生から高校生にかけてのことで、まさに60年代の後半だった。

そのきっかけは、常磐新平さんが編集長をやっていた「エラリー・クィーンズ・ミステリマガジン」(早川書房)を読み始めたことだった。そこには、当時、社会現象にまでなっていた007の「ジェイムズ・ボンド白書」が連載され、出版広告のページには「スパイ小説の金字塔『寒い国から帰ってきたスパイ』」というキャッチコピーが躍っていた。

最初に買った号の表紙裏には、レン・デイトンの処女作「イプクレス・ファイル」を映画化した「国際諜報局」(1965/108分)の広告が載っていた。その原作は「あの『寒い国から帰ってきたスパイ』を越えた!!」というキャッチコピーが添えられていた。

そこまで書かれているのである。「寒い国から帰ってきたスパイ」(1963)を読まないわけにはいかない。当時、ハヤカワポケットミステリでさえ手が出ない貧乏な中学生だったが、ポケミスより高いソフトカバーの単行本を僕は買った。「これで面白くなかったら、許さんぞ〜」という気分だった。

……何だか、あまり面白くなかった。

いや、期待が大きすぎたのだと思う。中学生には理解しにくい部分も多かった。でも、読後35年になるが未だにアレック・リーマス、ハンス・デューター・ムント、ジョージ・スマイリーという主要人物の名前を覚えているから、それなりに印象に残ったのは間違いない。

その後、翻訳は後になったが処女作の「死者にかかってきた電話」を読んで、ジョージ・スマイリーが真の主人公であることが判明した。やがてジョージ・スマイリーはル・カレの主要作を担っていく。(周防正行監督の「シコふんじゃった」(1991/108分)で、教立大学相撲部に入るイギリス人留学生の名はジョージ・スマイリーという)

しかし、ル・カレの作品はどんどん重厚長大になり、僕としては手を出すのを控えていたのだが、新作が出るたびに気にはなっていた。「スクールボーイ閣下」(1977)が出た同じ頃、グレアム・グリーンの「ヒューマン・ファクター」も出て比較されることが多かったが、小林信彦さんの書評を読んで「ヒューマン・ファクター」だけを読んですませた。

久しぶりに出てすぐに買ったのは「リトル・ドラマー・ガール」(1983)である。ル・カレが初めて中東問題をテーマにしたことに興味があったのだ。ル・カレの筆は確かに深まり、一種の神業になっていた。その記述はスパイ小説ならではのもので、何のためにその記述があるのか時として読者にはわからず、いつの間にか迷宮に誘い込まれている。

たとえば、何気ない通りの描写があるとする。郵便配達がやってくる。ル・カレはその配達夫を微細に描写する。その行動を描く。接触する相手も詳細に描写する。スパイの世界では、もしかしたらその郵便配達夫は敵側のエージェントが化けているかもしれない。でも、本物の郵便配達夫かもしれない。

そんな風に物語っていけば、いつの間にか長大な本になるのは仕方がない。ル・カレの描写の影響を受けているのは高村薫だと思う。「レディ・ジョーカー」は間違いなくル・カレの手法で描かれた作品だ。

●複雑なプロットで伏線に溢れた完璧な物語

ル・カレのよい読者ではないかもしれないが、ル・カレの小説の映画化作品はわりと見ている。特に、「寒い国から帰ってきたスパイ」は、監督が僕の好きだったマーチン・リットだったこともあり、待ちかねて封切りで見に行った。

しかし、なぜかタイトルは「寒い国から帰ったスパイ/THE SPY WHO CAME IN FROM THE COLD」(1966/111分)で、2文字、倹約していた。

配役はアレック・リーマスがリチャード・バートン、恋人がクレア・ブルーム、ムントがピーター・ヴァン・アイク、フィドラーがオスカー・ウェルナーという豪華版だったが、シリアスさを強調するためにモノクロームを採用し彫りの深い映像に仕上げられていた。

東ドイツの切れ者フィドラーは得な役で、フランソワ・トリュフォー監督「突然炎のごとく」(1961/108分)で人気が出たオスカー・ウェルナーが教養のある紳士的なエリート諜報官僚を演じていた。

「この映画は非情な情報戦の現実、組織の非情さ、味方にさえ真の目的を教えず、歯車として、消耗品として使ってしまう非人間性を描いた」と言ってしまうとありきたりなのだが、組織や国家の非情さを描き出したのは間違いない。いかにも、本当にありそうな裏切りと虚偽の世界である。

僕は、未だにラストシーンを甦らせることができる。醜く肥る前のリチャード・バートンがベルリンの壁の上に昇り恋人に手を差し伸べる。いつ、サーチライトに照らし出されるかというサスペンス。壁のこちら側からジョージ・スマイリーが「飛び下りろ、アレックス」と叫ぶ。

女、それもスパイの世界とは何の関係もなかった女、彼が非情な諜報戦の中に引き込んでしまったオールドミス──クレア・ブルームが演じた女はまだ壁の向こう側にいる。女は狙撃される。

再び、スマイリーは叫ぶ。「飛び下りろ、アレックス」

その時、スマイリーを見つめたアレックスの目が忘れられない。あんな目ができるのだから、バートンはやはり名優だと思う。その直前、アレックスはすべてを知ったのだ。自分の役割、本当の目的。彼は、その時、すべてに絶望していたに違いない。

僕は映画を見て、この物語のすべてを理解した。いや、バートンの最後の視線ですべてを理解できたのかもしれない。小説では読み取れなかったが、アレックスはフィドラーに友情に似たものを感じていたに違いない。それは、やはりバートンとウェルナーの表情や口調で理解できた。

ストーリーは原作に忠実だ。二重、三重に張り巡らされた仕掛け、複雑なプロット、伏線に溢れた完璧な物語だからどこかを変えれば破綻を生じてしまう。したがって、物語に忠実な映画化だったが、原作を読んでいてもとても新鮮だった。小説の映画化の見事な成功例だと思う。

こう書いてくると、やはり「寒い国から帰ってきたスパイ」はいい小説だと思う。ル・カレは、その後この出世作以上の代表作を生み出したと言われているが、やはりスパイ小説の歴史に残る名作だろう。

ちなみに、続く小説も「鏡の国の戦争/THE LOOKING GLASS WAR」(1969/107分)として映画化された。こちらも60年代のテイストのする不思議で不条理なスパイ映画だった。

■2001年5月18日号

十河 進【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、編集者として過ごす。現在は、管理部門に勤務。

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筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0861 2001/05/18.Fri.発行より転載

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