04/04/09掲載
十河 進
IT'S A WONDERFUL LIFE
●世界は生きるに値するか
少し前のことになるが、NHKの衛星放送でジョン・フォード監督の「わが谷は緑なりき」を放映していた。帰宅したのが遅かったので、最後の15分ほどしか見られなかったが、その美しいモノクロの映像とストイックな語り口と胸が痛くなるほどの郷愁で涙がこぽれそうだった。
映画は主人公が少年時代を回想する形で語られるが、ラストシーン、落盤事故で死んでいく父親を看取り遺体を抱いて地上に上がってきた主人公の少年の姿に「わが谷は…緑…なりき」と成長した主人公の語りが入った時には、こみ上げてくるものを堪えきれなくなった。
「わが谷は緑なりき/HOW GREEN WAS MY VALLEY」は、1941年にジョン・フォードが監督し、アカデミー作品賞、監督賞、助演男優賞、装置賞、美術賞を受賞した。僕は今までに何度も見ているが、その度に見事な映画だと思う。心が洗われる。
ウェールズの炭坑町に暮らす一家の話である。額に汗して働いていれば幸せになれると信じ毎日を神に感謝して生きている頑固者の父親、家族の中心として家庭内のすべてを仕切っているしっかり者の母親、その父母を尊敬している働き者の5人の兄たち、敬虔で愛情にあふれた美しい姉。主人公を取り巻く家族の肖像が巻頭から描かれる。
男たちは働いて金を稼ぎ、女たちは家庭を営むための様々な仕事をこなしていく。食事の前には家族全員で神に感謝し、子供たちは誇りと感謝の念を躾られている。人々には親切にし、迷惑を掛けず、自分のことは自分で責任を持つ。そんな古き良き時代の家族の肖像が描かれていく。
しかし、運命は過酷だ。不況は炭坑夫たちの仕事を奪い、組合結成を主張する息子たちは昔気質の父親と対立して家を出る。半年以上に及ぶストライキは仲間たちの心を荒んだものにし、組合結成に反対した父親に憎しみが集中する。
夫への謂われのない非難に対して組合集会に乗り込み勇ましい演説をした母親は、帰りがけに主人公と共に凍りついた沼に落ちて寝込んでしまう。主人公も歩行が困難になり、ずっとベッドから出られない。
結婚し独立した長男は炭鉱の事故で死に、その葬儀の日に遺された若妻は子供を産む。長男の死後、腕のいい炭坑夫だった4人の兄たちは高賃金を理由に馘首される。彼らは新天地を求めてアメリカへ渡る。
主人公は神父の教育と励ましで再び歩けるようになり、炭坑町の神童と呼ばれ隣町の学校への入学を許されるが、教師は炭坑夫の息子への偏見と敵意もあからさまに「貧乏人の来る学校ではない」と言い放ち、登校初日から主人公は学友たちのいじめに遭う。
神父を愛しながら炭坑主の息子と結婚した姉は炭坑主の邸宅に住むが、古くからの使用人の悪意によって神父との仲を中傷する噂を立てられ、町中の人間が一家を糾弾する。教会での糾弾集会の時、炭坑で落盤事故が起こり父親は坑内に閉じ込められる。
時代設定は今から100年も前のことだが、世界は何も変わっていない。一世紀経った現在も企業存続のためのリストラ、謂われのない偏見と敵意、いじめ、中傷、群衆の悪意は世界にあふれている。人間社会の悪は何も変わっていない。
逆に、主人公一家によって体現されていた、慎み、謙譲、責任、信頼、抑制、信念といった古き良きモラルや生き方の美しさの方が喪われてしまったのだ。
しかし、この映画の素晴らしいところは「世界は辛く悲しいことに充ちている。それでも、この世は生きるに値する」と思わせてくれるところである。
●世界は素晴らしく希望に充ちているか
今年の3月、「小説家を見つけたら」(2001)という映画を見た。ブロンクスに住む天才的な文才を持つ黒人少年と、一冊だけベストセラー小説を書き隠遁生活を送っている作家の友情物語である。
お決まりの感動ストーリーで、割りに都合よく展開する。サウンドトラックにはマイルス・デイビスやオーネット・コールマンの曲が使われていてジャズファンには受けるのだが、最後に「オーバー・ザ・レインボウ〜イッツ・ア・ワンダフル・ワールド」が使われていたのには少し首をひねった。
どういうつもりで「虹の彼方に〜この素晴らしき世界」を最後にもってきたのかはわからないが、本気でそんなメッセージを作り手は伝えたかったのだろうか。そうだとしたら、あまりに楽天的であり、現実認識が皆無だと言いたくなる。あるいは悲惨な現実からは敢えて目を背けたのだろうか。
そうだとしても「世界は素晴らしい、希望に充ちている」などというメッセージは、今や欺瞞的でさえある。脳天気、と形容するほかない。
もちろん僕だって楽天的に「虹の向こうのどこかに私の夢が叶う場所がある」と思いたいし、「この素晴らしき世界」と大声で肯定したい。子供たちにもそう教えたいし、世界がそうあってほしいと心底願っている。
だが、現実は直視しなければならないし、子供たちには現実を正しく認識する力をつけてもらいたいと思う。世界には辛いことや悲しいことがいっぱいある。理不尽な運命に襲われることもある。
一冊書いただけの小説が絶大な評価を受け、その印税だけでその後の30年間を部屋から出ずに生きてこれた天才作家ではないフツーの人間にとって「虹の向こうの夢が叶うどこかは本当にあるのか、この世は本当に素晴らしいのか」と難癖をつけるようだが、僕はへそ曲がりぶりを発揮してしまった。
へそ曲がりではあるが、僕はどちらかと言えば楽天家である。泥酔して上着もメガネも財布もなくして側溝の冷たい水の中で目覚めた時には確かに落ち込んだけど、すぐに「まあ、命があっただけでもましだな」と考える人間である。
昔、「ポリアンナ」(原作は「少女パレアナ」)という少女がそんな考え方を村中の人間に敷衍させ、人々を幸せにするというアニメが放映されていたが、彼女も自分が歩けなくなる不幸に見舞われた時には、そういう考え方の限界を自覚したようである。
俳優の大滝秀治が昔、テレビのトーク番組で喋っていたが、彼は大病をいろいろやって「生きているだけで幸せです」という境地に達したらしい。それを見た僕の友人は「神様やなあ」と感嘆していた。
最近、こういうのをポジティブ・シンキングと名付けて商売にしている輩がいるようだが、本来、シビアな現実認識の上に立ってのポジティブ・シンキングであるはずだ。
「現実は厳しい、どんな仕事でも達成するのには様々な困難がある」と認識して、それでも「努力すれば達成できる」と考えるのが楽天主義的考え方であって、「現実は甘い、どんな仕事もちょいちょいとやればできるから、仕事は後回しにしよう」と考えるのは単に現実をなめているに過ぎない。
だから「世界は素晴らしい。夢はいつか叶う」という世界認識をメッセージするのは、世界や人生をなめることにならないか、と僕は危惧するのだ。「世界は不幸や悲惨に充ちている。夢は叶わないかもしれない」という現実認識をメッセージし、「でも、諦めるな。たとえ40-0からだって」と希望を与えることこそが、ますます悪くなっていく世界へのメッセージではないのか。
山下耕作監督の「関の彌太ッぺ」(1963/84分)では、ヤクザの助っ人家業で人相まで変わり果てた彌太郎(中村錦之助)が美しく成人したお小夜に「お小夜さん、この娑婆にゃあ、悲しいこと辛えことがたくさんある。だが、忘れるこった。忘れて日が暮れりゃ明日になる」と10年前と変わらぬ言葉をかけて立ち去る。
これほどの励ましに充ちた言葉が他にあるだろうか。
●フランク・キャプラの素晴らしき世界
フランク・キャプラという監督がいる。時に「楽天的過ぎる」と批判されがちな監督だ。しかし、彼の映画は多くの人々に愛されている。特に「IAWL」と略称で語られる「素晴らしき哉、人生!/IT'S
A WONDERFUL LIFE」(1946 /130分)には、この映画だけのファンクラブがあるという。
サッチモことルイ・アームストロングの歌で有名になった「IT'S A WONDERFUL WORLD」は、この映画のタイトルをもじったのかもしれない(「小説家を見つけたら」で歌っていたのはイスラエル・カマカビボオレ)。
僕はキャプラの映画はどれも好きだ。「スミス都へ行く/MR.SMITH GOES TO WASHINGTON」(1939/125分)を見るたびに、アメリカの民主主義に対する理想を見い出して羨ましくなる。
アメリカでは「楽天的、センチメンタル、現実を見ていない」と批判されがちなキャプラだが、そんなことはない。彼は「希望を失わない」という真の意味で楽天主義者ではあるが、彼の現実認識は実にシリアスだ。
「素晴らしき哉、人生!」では、主人公(ジェームス・スチュアート)が投身自殺するところから映画が始まる。その自殺に至るまでが回想形式で描かれるわけだが、理想主義者で善意の主人公は現実の世界で悲惨な目に遭い続け、そのタイトルは反語的な意味で付けているのじゃないかと思えてくる。
「スミス都へ行く」の上院議員になったスミス(ジェームス・スチュアート)も悪徳政治家の罠におち窮地に追い込まれる。そのシリアス過ぎる現実認識は息苦しくなるほどだ。
キャプラは貧しいイタリア移民の子でろくな教育も受けられず、子供の頃から働き続け様々な職業を渡り歩いた。大恐慌の頃にはホーボーとなって列車をただ乗りし農園の手伝いをしたり、ギャンブラーや賞金稼ぎのボクサー、密造酒作りもやったという。
そんな苦労をして監督になった男だ。誰よりも厳しい現実認識を持っていたに違いない。しかし、繰り返すが彼は真の意味での楽天主義者だった。放浪者であった時に希望を持ち続けたように、彼の映画の主人公たちは決して希望を失わない。
確かにスミスも一度は希望を捨てようとする。だが、仲間に励まされ議会で24時間立ち続け演説をする。アメリカの理想を謳う。その彼の必死の努力と反撃が勝利を得るのだ。もちろん、それは映画ならではのお伽噺かもしれない。しかし、非情な現実を描いた上での理想主義の勝利を誰が否定できる?
「素晴らしき哉、人生!」は冒頭で主人公が橋から身を投げようとする。主人公の理想主義は敗北したのである。彼が自殺に追い込まれるまでの過酷な現実が描かれていく。その結末に、彼の命を天使が救う逆転的ハッピーエンドを持ってきたからといって「センチメンタルだ」などと誰が非難できる?
それが映画ってモンじゃないのか。
──人生は困難なものだ。だが、希望を失うな。諦めるな。
そう感じさせてくれる映画を、あくまで僕は支持したい。
■2001年6月1日号
十河 進【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、編集者として過ごす。現在は、管理部門に勤務。
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筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0871 2001/06/01.Fri.発行より転載
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