118いい輪
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04/04/23掲載

十河 進

人生の勝ち負け?

●金がすべてという価値観

青年は世の中のすべてを金でしか換算できなかった。より多くの金を手にすること、それだけが彼の目的だった。金さえあれば、自分の望みがすべて叶うのだと信じて疑わなかった。

10代の頃に飛び出した家を思い出すこともなかった。彼が父親の訃報に接して帰郷することにしたのは、事業資金に借りた大金の返済を迫られていたからだ。彼の目的は父親の多額の遺産を手にすること。彼以外には相続する人間はいないはずだった。

だが、父親は彼には古い車を遺しただけだった。すべては彼が存在さえ知らなかった、自閉症で何十年も病院に入っている兄に譲渡されていた。青年は兄が相続した300万ドルの遺産を手に入れようと、兄をホームから連れ出しカリファルニアへ向かう。

彼にとって自閉症の兄はお荷物でしかない。だが、そのお荷物には300万ドルの価値があるのだ。彼は300万ドルのために世話の焼ける兄を仕方なく連れて歩く。兄はKマートでしか買い物ができないし、決まったパターンでしか行動しない。

その兄が数字については天才的な記憶力を持っていることを青年は知る。青年はその能力で金を稼ぐことを思いつき、兄を使ってカジノで大儲けをする。だが、それもつかの間、兄の能力を見抜かれて彼らはカジノを放り出される。

しかし、兄との旅が青年の記憶を徐々に呼び醒ましていく。ホテルの風呂にお湯を入れている時の兄の反応で青年は記憶を甦らせる。青年がまだ幼かった頃、彼を風呂に入れようとして熱湯に気付かなかった兄。弟を傷つけることを怖れて、両親は兄を病院に入れることにしたのだ。

青年は子供の頃の自分のヒーローを思い出す。彼の面倒を見、彼を救ってくれたレインマン。それは自分が創り出した空想のヒーローだと思っていたのだが、そのレインマンこそが兄だったのだと記憶の底から浮かび上がってきた真実に気付くのだ……。

「レインマン/RAIN MAN」(1988/135分)は、まったく違う世界に生き、まったく違う価値観を持ち、まったく違う人生を歩んできた兄と弟が出会い共に旅を続けていく中で、互いに影響しあい「家族や人生とは何か」を学んでいく映画である。

そして、「金がすべて」という価値観しか持っていなかった青年が、別の価値観を得る物語でもある。そのこと自体はいかにもハリウッド映画的であり、使い古されたテーマでもあるが、だからこそ永遠のテーマであるとも言えるのだ。どんな使い古されたテーマでも、そこに真実が存在すれば人を感動させることはできる。

アメリカン・ドリームとは、端的に言えば金持ちになることである。その現代の典型がビル・ゲイツだ。かつてはロックフェラーであり、カーネギーでもあった。アメリカという競争社会においては人生の成功者と敗残者の分類は簡単である。アメリカには、金を儲けた奴か、儲け損なった奴しかいない。

●「いい仕事をすること」自体の達成感

「レインマン」はベルリン映画祭グランプリを皮切りに、アカデミー作品賞、監督賞(バリー・レビンソン)、主演男優賞(ダスティン・ホフマン)ほか主だった賞を総ナメにしたが、主人公の青年を演じたトム・クルーズだけは無冠だった。

だが、彼は「この映画に出られただけで幸せだ」と語った。努力した結果が受賞という形で人々に認められるのは嬉しいことだろうが、「いい仕事をすること」それ自体に価値観を持つ人もいる。

人に認められるか認められないかは、結果にしか過ぎない。どんないい映画を作ったか(どんないい仕事をしたか)ということに価値を持っていれば「いい仕事をした満足感」は得られるはずだ。そして、「もっといい仕事をしたい」気持ちになるはずである。それはプロとしての誇りだ。

金持ちになることに価値観を持つのか、いい仕事を仕上げるプロとしての自尊心を満足させることに価値観を持つのか、同じように一生懸命仕事をしていても、そこには大きな違いがある。

たとえば、その人が会社組織の中での出世を人生の最大の価値観として持っていれば、平社員のまま終わった時に深い挫折感を味わうことはあるだろう。プロとしての誇りを持った仕事をすることに価値観を見い出していれば、たとえ評価されず不遇のまま組織人としての人生を終えたとしても自らの生き方に誇りを持てるはずだ。

最近、日本でもしきりに「勝ち組・負け組」という分類が使われる。アメリカのような競争社会が日本でもスタンダードになり、金と地位を得た者を勝ち組と称し、金と地位を得られなかった者を負け組と称しているようだが、「勝ち組・負け組」という言い方を僕は好きになれない。

人が生きてきた結果を「勝ち組・負け組」ということだけで分類するのを僕は承服できない。どういう価値観(基準)で勝敗を決めるにしろ「勝ち組・負け組」などという言葉を人が生きてきた結果に対して使うべきではない、と僕は思う。

●勝ち組・負け組の基準は何?

人が生きていく上には様々な要素が存在する。だから、ひとつの世界で挫折感を味わっても、別の世界で何かを手にすることもある。ひとつの価値観に囚われ、すべてをそこからしか見られなくなった人は、「○○だけが人生のすべてではない」というスタンスを持ちにくくなる。

逆に「○○だけが人生のすべて」と思い込んでしまった人は、その世界だけでの勝敗にこだわり、そこで敗北することによって徹底的に打ちのめされることもある。時には、それから先の人生を生きていけなくなることもあるだろう。

「勝ち組・負け組」という言葉を中吊りの週刊誌の広告などで見かけると、思い出すふたりの編集者がいる。ふたりとも写真雑誌の編集長として活躍した人たちだ。ひとりは消息がわからなくなり、ひとりは名の通った出版社の社長になった。

30年近く前、AさんとBさんは同じ写真雑誌の編集部にいた。

その出版社に組合ができた。1970年代前半のことで、労使の交渉もかなり揉めた時代だ。Aさんは、その社内のゴタゴタが厭で退社した。Bさんは組合には入らず編集長になったが、数年後に会社は倒産した。

倒産した時に組合はすぐに労働債権をすべての債権に優先しておさえ、出版労連の支援を受けて職場確保のために泊まり込みを始めた。Bさんは組合にオルグされ、労働組合に加入することになった。Bさんはいつもパイプをくわえたダンディな人だった。多くの人が「編集長」という言葉からイメージするような人だった。

倒産争議は長引いたが数年で解決し、労働債権もある程度は回収できたし、労働債権として雑誌の商標も確保できた。組合員たちの何人かと一緒にBさんは新社を起こし、昔の雑誌名で本を出した。ただ、かつてのように月刊誌を出す力はなく、撮影テクニックの特集誌を不定期で出し始めた。

しかし、新しい会社も行き詰まった。その後、Bさんは酒浸りになったという。家庭もうまくいかなくなったのか、奥さんが子供を連れて家を出たと、僕はBさんと親しい写真家のTさんから聞いた。

Aさんの方は退社後、大手出版社に入りカメラ雑誌を立ち上げた。その若者向けカメラ雑誌が成功し、Aさんはやがて編集長から統括編集長になり、カメラ・映像関連の出版部門として独立事業部になるまでに育てた。

数年前、Aさんは手腕を買われて系列の出版社に社長として赴くことになった。昨年の秋に僕は久しぶりにAさんに会った。相変わらずスリムな身体を上等なダークスーツに包んでいたが、苦労の跡を忍ばせるように白髪は増えていた。

AさんとBさんの人生を一面から判断すれば、同じ編集部にいた青年たちが30年経って勝ち組と負け組に別れてしまったと言われるのかもしれない。

●自分の価値観を根底から問い直す言葉

数年前、写真家のTさんと新宿のゴールデン街で飲んでいる時、久しぶりにBさんの話が出た。

「Bさん、どうしてるんですか」

「禁酒して、新宿の街を掃除しているよ」

「掃除って? 清掃会社?」

「自分がどこまで耐えられるか、生きていけるか試してみる、と言っていた」

かつて業界でも独自の位置を占めていた写真誌の編集長だった人である。そのことに過剰なほどのプライドを持っていた人だ。編集長としてのスタイルにこだわっていた人だ。そこまでの決意をするのは大変だったと思う。

Bさんは、自分がどこまで本当に生きていこうとしているのか試すために、あえて人の目に晒される過酷な職業を選んだのだろう。もちろん人々は彼の過去など知らないし、関心を払うことなどないかもしれない。だが、彼は自らの試練として人目に晒されることを選んだのだ。

学生時代、僕はビルのメンテナンス会社でアルバイトをしたことがある。それも帰省中のことだ。僕は高松市の主要企業が入っている大きなビルを回って、朝から晩まで清掃をしていた。僕以外は年輩の人たちばかりだった。そんなアルバイトをしようという学生はあまりいなかったのかもしれない。

しかし、仕事中のオフィスを回ってゴミ箱を集めたりしていると、やはり何となく社員の目が気になった。さすがに女子トイレの掃除は命じられなかったが、午前中はビルのトイレ掃除と廊下のワックスがけなどもやらされた。

アルバイトを始めて数日後のことだった。ビルのガラスドアを磨いている時に、ひとりのOLが廊下をやってきて驚いたように立ち止まった。僕は彼女が高校の同級生だったことに気付いた。

彼女は一瞬とまどい、僕に声を掛けようか知らない振りをしようか迷っているのがわかった。結局、彼女は用事を思い付いたように踵を返して廊下を戻っていった。彼女の背中を見送りながら「俺、アルバイトなんだ」と、僕は心の中で言い訳じみた言葉を繰り返していた。

アルバイトの僕でさえそうだったのだ。かつて雑誌編集長だった50過ぎの男が、新宿で大勢の人の目に晒されて街を清掃するということがどういうことなのか想像した。そして「自分がどこまで耐えられるか、生きていけるか試してみる」というBさんの言葉を僕は噛みしめた。

それは、再生への固い決意を感じさせる言葉だった。今までの自分の価値観を根底から問い直す言葉だ。

人の生き方は、ひとつの価値観では計れない。

■2001年6月15日号

十河 進【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、編集者として過ごす。現在は、管理部門に勤務。

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筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0881 2001/06/15.Fri.発行より転載

 

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