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04/05/14掲載

十河 進

最後の国境線

●ジョン・レノンのメッセージ

今をときめくジャズシンガー、ケイコ・リーのデビューアルバムのタイトルは「イマジン」である。もちろん、あのジョン・レノンの「イマジン」を歌っている。その後も、コンサートでは必ず歌っているようだ。去年、ソニービルのソミドホールで彼女のコンサートを聴いたが、ピアノの弾き語りで「イマジン」を歌ってくれた。

僕はキューバのピアニスト、ゴンサロ・ルバルカバのマウント富士ジャズ・フェスティバルのライブ盤「イマジン」も持っており、こちらはインストなので歌詞は入っていないが、メロディだけでも「イマジン」は名曲だと証明してくれる。

ご多分に漏れず僕もビートルズには熱中したクチだ。どちらかと言えば初期から中期ビートルズの熱心なファンである。しかし、最初のつまずきは「サージャント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」だった。1967年のことだ。このアルバムは地方の少年には難しすぎた。いや、その音楽性を最初から受け入れ評価した人はあまりいなかったと思う。

僕は、アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」から聴き始め「ヘルプ」「ラバーソウル」「リボルバー」と続くアルバムには熱中していた。「イエスタデイ」「ミッシェル」「ガール」は今でも原語で歌える(はずだ)。「ノルウェイの森」も「ラバーソウル」の2曲目に入っている。

この時期のビートルズファンの特徴としては、ポール・マッカートニー贔屓が多いことだ。僕も実はポールファンなのである。サウスポーでギターを弾くポール・マッカートニーは、日本公演のテレビ中継でも本当にかっこよかった。

だから、ジョン・レノンにそれほどの思い入れもないし、「イマジン」もきちんと聴いたことはなかった。しかし、ジョン・レノンが死んで数年経ってから僕は感動的な「イマジン」を聴いたことがある。その時初めて、僕は「そうか、この歌はこういう意味だったのだ」と改めて認識したものだった。

「イマジン」の詞の内容を知っているだろうか。「国境がないことを想像してごらん」とジョンはメッセージし「すべての人々が平和に生きていく」ことを願っているのである。

僕が感動的に聴いた「イマジン」は「キリング・フィールド/THE KILLING FIELDS」(1984/140分)という映画のラストシーンだった。ふたりの男がカンボジアの国境からタイへ抜けたところにある赤十字の難民キャンプで再会し抱き合うシーンに「イマジン」は流れる。

ひとりはアメリカ人のジャーナリストである。カンボジア・ルポで彼はピューリッツァ賞を受賞した。ひとりはカンボジア人のジャーナリストであり、かつてアメリカ人ジャーナリストの現地助手でもあった。カンボジア人のジャーナリストは数々の死地を乗り越えて、タイの難民キャンプにたどり着く。

露骨なメッセージ映画は好きではないが、「この映画にこれほど相応しい歌はないな」と僕はクレジットタイトルに流れる「イマジン」を聴きながら、初めてジョン・レノンの願いを理解したような気になった。

●クメール・ルージュの虐殺

1980年1月、「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」にある記事が掲載された。ニューヨーク・タイムズ記者としてピュリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグの実体験のカンボジア・ルポだった。

カンボジア取材で彼は現地のジャーナリスト、ディット・プランと仕事を組み、いつしか互いに敬意を持ち合う。やがて、それは友情へと育つ。だが、カンボジア内乱は激しくなり、クメール・ルージュに捕らえられシャンバーグは国外退去になり、ディット・プランは収容所に送られ強制労働に従事させられる。

ここで、僕は当時のカンボジア情勢を解説したいところだが、1970年代の状況は実に複雑でよくわからない。当時、ヴェトナム戦争は世界中(特に日本のインテリと学生)の関心の的ではあったが、カンボジアについてはほとんど無関心だった。

60年代後半に中国に吹き荒れた文化大革命は紅衛兵たちによって過激に、かつ共産主義の原点に立ち戻るべく推進されたが、クメール・ルージュもまた原始共産主義ともいうべき徹底的な無階級社会をめざしたようである。だが、そのために多くの人民を虐殺するとは、当時は誰も予想しなかった。

1975年、ポル・ポト軍によってプノンペンが制圧される。彼らクメール・ルージュはカンボジアをアンコール時代の古代クメール王国に戻し、農業を中心とした伝統的な階級のない社会を復活させると約束する。同時に、大量虐殺が始まるのである。

この時期のカンボジア情勢を背景にした小説に矢作俊彦と司城志郎の合作「暗闇にノーサイド」がある。この小説が発表されたのは1983年だ。その頃にはすでに、クメール・ルージュの残虐性は公になっていたのだろう。

僕は、「暗闇にノーサイド」を出た時に読んだが、実はカンボジア情勢がよくわかっていなかったので背景が理解できなかった。数年後、「キリング・フィールド」を見て初めてカンボジアの悲劇を理解した。

「キリング・フィールド」は、事実をベースにした映画である。

●自らの体験を演じてオスカー受賞

カンボジア取材に入ったシャンバーグ(サム・ウォーターストン)は現地ジャーナリストのプラン(ハイン・ニョル)を助手に雇い、カメラマン(ジョン・マルコヴィッチ)と共に内線の取材を行っている。

やがてプノンペンはクメール・ルージュに制圧され、彼らも捕らわれ身の危険さえ感じる状況になる。この前半では、まだ若きマルコヴィッチもいいのだが、プランを演じるハイン・ニョルの静かな演技がとてもいい。

外国人ジャーナリストは国外追放になり、ここからプランの過酷な運命が描かれていく。プランは農村の収容所に入れられ強制労働に従事させられるのだが、彼がジャーナリスト(支配階級的インテリ)であったことがわかれば、それだけで銃殺されかねない状況が常に画面に緊張感を漂わせる。

映画の後半は、ほとんどプランがひとりで映画を支えている。彼がくぐり抜けてきた虐殺の大地の現実が、見る者に重くのしかかる。彼は耐える。そして、ある時、兵士の目を盗んで収容所を脱走し、タイ国境をめざして逃げる。その逃避行の間に彼が目にするのも虐殺の大地の現実である。

一方、シャンバーグはニューヨークでピューリッツァー賞の受賞パーティに出席している。彼は、カンボジアにいるプランの身の上が心配で片時も忘れたことはない。難民キャンプなどにも捜索の依頼をしてはいる。とうとう、彼は自らプランを探しに行こうとする。

ラストシーン。ふたりの男は再会し、その場面に「イマジン」が流れてくる。

カンボジア人ジャーナリストであるディット・プランを演じたハイン・ニョルは、アカデミー助演男優賞を受賞した。彼は実際のカンボジア難民であり、医師でもあったが、演技はほとんど素人だった。

しかし、彼の演技が圧倒的に迫ってくる力を持っていたのは、彼自身もディット・プランと同じ体験をしていたからだろう。ハイン・ニョルは「キリング・フィールドからの生還」(1990/光文社)の中で「ディット・プランは私そのものだ」と綴っている。

ハイン・ニョルは「この映画が公開されるまでは、世界の人々はカンボジアの悲劇をあまり知らなかった」と書いている。その通りだ。僕だって、「キリング・フィールド」を見なかったら、カンボジアで何十万(一説では数百万)もの人が殺されたことなど未だに知りもしなかっただろう。

しかし、「キリング・フィールド」を見ても僕には理解できないことがある。なぜ、クメール・ルージュはあんなに人を殺したのか。

●最後の国境線は取り払えるか?

アジアを生涯のテーマにしている写真家、管洋志さんにカンボジアの写真を見せてもらったことがある。1980年代の前半のことだと思う。カンボジアはまだまだ政情不安だったと思うが、管さんはアンコールワットを撮影しカンボジアの農村の写真をいっぱい撮っていた。

その中には、人骨の山が写っていた。村の一角らしきところに頭蓋骨や手足の骨がバラバラになって積み上げられていた。それは現実だった。あっけらかんとした現実だった。その人骨はプランやニョルの家族の可能性だってあった。

なぜだ、と何度も発した虚しい問いを僕は再び口にする。なぜ、そんなことが起こるのか。国の違いは国家間の戦争を起こし、民族の違いが長く続く紛争を生み、宗教の違いが戦いを終わらせない。人類はなぜ平和に心静かに共存できないのか。

カンボジアの悲劇は主義主張の違いが生んだ虐殺なのだろうか。共産社会の実現をめざした兵士たちが、かつての支配階級や旧体制を支持する人々を殺しただけ、ということなのだろうか。革命に血が流れるのは当然だ、と言い切るだけでいいのだろうか。

一世を風靡した冒険小説作家アリステア・マクリーンに「最後の国境線」というタイトルの初期作品がある。ご多分に漏れず、これもハリウッドで映画化されていて僕の好きな怪優リチャード・ウィドマークが主演した。

東西の冷戦が真っ盛りの頃、東側へ潜入する秘密情報部員が主人公である。資本主義と共産主義というイデオロギーの違いが、世界を破滅させかかっていた頃の話である。

その中でマクリーンは主人公にこう語らせている。

──最後の国境線は人間の心……

国の違い、人種の違い、民族の違い、宗教の違い、主義主張の違い、そんなものをひとつひとつ人類が克服していったと仮定しても、最後に残る国境線であるひとりひとりの「人間の心」を克服するのは困難だということなのだろうか。人はそこまで、自分ではない存在に心を閉ざすのか。

しかし、他者を排斥する心と共に他者を受け入れようとする心も人間にはある。イントレランスではなく、トレランス。寛容──ひとりひとりが心の中の国境を取り払えば、真に平和な世界が実現するのではないか、そんな希望的な考え方だってできないわけではない。

スティーヴン・スピルバーグ監督が「A.I」の記者会見で話していた。「私は人間は善だと考えている。いつか、人類は悪を克服するだろう」と。

ジョン・レノンも、おそらくそのように考えていたのだ。彼が「イマジン」に託したメッセージは、想像することによって最後の国境線をなくそうとすること、つまり、人類が持つ「想像する力」による救済だったのではないだろうか。

不幸なことに、ジョン・レノンはチャップマンという男に芽生えた悪によって意味もなく射殺されてしまったが、死の瞬間まで彼は人類に希望を持ち続けていたのだと思いたい。

■2001年7月7日号

十河 進【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、編集者として過ごす。現在は、管理部門に勤務。

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筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0896 2001/07/07.Fri.発行より転載

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