118いい輪
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04/06/04掲載

十河 進

ふたつの8.15映画

●玉音放送が流されるまでの24時間

山田風太郎著「人間臨終図巻」の「五十八歳で死んだ人々」の項目を読んでいたら阿南惟幾(あなみ・これちか)の記述が出てきた。生年は1887年〜1945年になっているが、僕はもちろん命日を知っていた。1945年8月15日早朝である。

阿南陸軍大臣は、8月14日の御前会議でポツダム宣言受諾が決定した後、陸軍省で尚も徹底抗戦を主張する将校たちを前に「聖断下る。不服のものはまずこの阿南を斬れ」と言って抑え、帰宅すると腹を切った。さらに自ら頸動脈を断って絶命したが、机上には一通の遺書があった。

「一死以て大罪を謝し奉る」

「一死大罪を謝す」というタイトルで阿南陸軍大臣を主人公にした小説が出ていたはずである。日本を戦争で荒廃させた彼の大罪は別にして、その潔さが日本人の琴線に触れるらしく、一種の英傑として描かれることが多いようだ。

阿南の遺体は、彼の幕僚であり徹底抗戦を叫んで反乱を起こし失敗した後、皇居前で自決した惟崎中佐と畑中少佐の遺体と共に市ヶ谷台上の砲座で焼かれたという。

惟崎中佐を演じたのが若き中村敦夫(中丸忠雄だったかな)、畑中少佐を演じたのがやはり若き日の黒沢年男だったな、と僕は電車の中で読んでいた「人間臨終図巻」を閉じてしばらく感慨に耽った。もちろん、阿南を演じた三船敏郎の姿も浮かんできた。

その映画を見て、僕は日本の敗戦前後の事情を学んだ。まだ何も知らない高校生の頃である。原作は、ジャーナリストの世界では神格化されている大宅壮一だった。それだけで僕は取材の正確さを信頼してしまったものだ。つまり、その映画で描かれたことは、ほとんど真実だと信じたのである。

「日本のいちばん長い日」(1967/157分)というタイトルは、ノルマンディー上陸作戦を描いた「ザ・ロンゲスト・デイ」(日本公開のタイトルは「史上最大の作戦」1962年/178分)の本歌取りであるのはわかったが、それがなぜ8月14日正午から8月15日正午までの24時間なのかは映画を見るまでは理解できなかった。

当時、夏休み前に学校として行ってもよいという映画は割引券がもらえた。反乱将校を美化しているなどの理由で右翼的・反動的と批判を受けていたらしいが、「日本のいちばん長い日」も推薦映画になり僕は割引券で見にいった。もしかしたら「文部省推薦」だったのだろうか。

暑い夏の日にガールフレンドと一緒にいった記憶がある。しかし、割腹シーンを見ながら彼女と手を握り合うのが好きというサド公爵みたいな人には向いているかもしれないが、どちらかと言えばカップル向きの映画ではなかった。

●岡本喜八監督の異議申し立て

「日本のいちばん長い日」は大宅壮一が、終戦当時の政治家や宮内庁関係者、元軍人、民間人から収録した実話を編集した同名のドキュメントを映画化したものだから、実在の人物ばかりが登場する。

まだ、若大将として「ふたりを〜夕闇が〜包む」などと歌っていた加山雄三は、NHKのアナウンサーを演じた。天皇がポツダム宣言受諾を国民に直接訴えるために吹き込んだ玉音放送のレコードは、8月14日にNHKに納められ15日の正午に放送される予定だったのだが、そのレコード奪取のために陸軍の反乱将校たちがNHKを襲う。

反乱軍将校に拳銃を突きつけられレコードの保管場所を問い質されても、一歩も引かずに隠し通したアナウンサーを若大将は演じたのだが、このアナウンサーは戦後もけっこう有名になった人だったと思う。

映画やドラマで何度もポツダム宣言受諾を述べる玉音放送の場面を見てはいたが、その裏にあんなクーデター騒ぎがあったとは僕はまったく知らなかった。それだけに、僕に強い印象を残したらしく、阿南陸軍大臣の割腹シーンや反乱軍の若い将校の皇居前での自決シーンは今もくっきりと脳裏に残っている。

阿南陸軍大臣の息子のひとりは後に講談社社長・野間省一の娘婿になり、講談社社長を継いだが急死し今は夫人の野間佐和子が社長をやっている。そう聞くと、1945年8月15日に死んだ人も歴史の中に埋もれた印象ではなく、今に続く血脈を感じてしまう。

まだ56年前のことなのだ。当時、僕の父母は二十歳だった。小学生だった人たちでも、まだ60代である。もちろん、僕を含めて戦後生まれの人間は、自分の生まれる前の出来事は遠い歴史の中のことだとしか感じられないだろう。まして、現在の若者たちは日本が戦争に負けたことも、連合軍(進駐軍と呼ばれたが)によって占領されていたことも知らないかもしれない。

「日本のいちばん長い日」を監督したのは岡本喜八監督である。岡本監督はこの一種の政治劇を撮ったがために、自ら資金を集めて当時一千万映画と言われたATG映画を制作することになる。

なぜなら、終戦当時、学徒動員で従軍していた岡本青年にとって、戦争とは決して「日本のいちばん長い日」で描いたようなものではなかったからだ。いくら阿南陸軍大臣が自決しようと、彼が戦争続行を主張し多くの若者を戦場に送ったこと、空襲で膨大な非戦闘員の死を招いたことをつぐなえはしない。

無名の青年にとって、戦争とは何だったのか。8月15日は何だったのか。岡本喜八監督は、「日本のいちばん長い日」を撮った贖罪のように、あるいは反論のように、屈折した本音を見せた「肉弾」(1968/109分)を作る。

かつて「独立愚連隊」シリーズで中国戦線を舞台にした戦争映画をアクション映画にしてしまった岡本監督の戦争への心情が、ある意味ではストレートに表現された青春映画の名作として「肉弾」は登場してきた。

●ナレーターも監督の分身だった

黒澤明監督作品に出てくる目を剥いて大仰な芝居をする仲代達矢は好きになれないが、岡本喜八監督作品に出てくる仲代達矢は好きだ。その軽妙さがいい。どこかとぼけていて、うちに秘めた真面目さや真剣さ、優しさといったものをストレートに出したくないために冗談ばかり言っているシャイな感じが素敵なのである。あんな男になりたいな、と思う。

「肉弾」では仲代達矢は画面には登場せず、ナレーションに回った。しかし、あれほどナレーションのキャラクターが重要な映画は珍しいだろう。仲代達矢という有名な俳優(たぶんノーギャラでしょう)をナレーションに使った計算が見事に効果を上げている。

映画は仲代達矢のナレーターが、戦後20年以上経った現在の男女の平均寿命を解説するところから始まる。確か、昭和20年の男の平均寿命と比較してみると20歳と何ヶ月かくらい差があるのだ。

──まてよ、そう言えばアイツもあの時、20歳と○○ヶ月だった、と仲代達矢は感情を込めたナレーションをする。

この映画のナレーターは客観的な喋りではなく、ひとりの個性的な語り手になっているのだ。おそらく、それは監督の分身であり、アイツと呼ばれる名前のない主人公も監督の分身なのである。

映画は1945年8月のある日にとぶ。アメリカ軍が上陸するであろう海岸の砂浜が映り、その砂浜に穴を掘って潜っていたアイツが現れる。真夏の日中の砂浜に潜んでいられるものではない。おまけに武器はほとんどないのだ。

アイツは牛乳瓶の底のようなメガネをかけ、一冊の本を大事に持っているインテリだ。明らかに学徒動員で狩り出されてきた兵隊である。アイツは痩せて頬がこけ、手足もガリガリである。

アイツはやってきもしないアメリカ軍の上陸を待ちかまえながら、数日前からの出来事を回想する。

岡本監督のことだ。ストレートに戦争の悲惨さや特攻隊員の悲哀を描くことはしない。映画はコミカルだし、喜劇とさえ言えるだろう。主演は、当時、まだ新人だった寺田農である。僕も顔は知っていたが、「肉弾」の主演に決まった記事を読んで初めてテラダ・ミノリという名前を知った。

岡本監督は自分に似た容貌の役者を偏愛する。岡本作品ではおなじみの怪人、天本英世であり、岸田森である。そして、「肉弾」で自らの分身を演じさせたのは寺田農だった。

父母が空襲で死んだため娼館の女将を自ら務めているヒロインの女学生を、翌年からのNHK連続ドラマのヒロインが決まっていた大谷直子が演じた。彼女はこの映画で全裸シーンを演じたため、一時はNHKが大騒ぎしたという。昔も今もNHKは保守的で官僚的なのである。

●20歳で死ぬ理由をアイツは求めた

アイツは特攻隊員として魚雷にくくりつけたドラム缶に入って敵を待ち、体当たりすることを命じられる。自らの死に直面するのである。童貞である彼は、「女を知る」ために外泊を許される。当時の軍隊の(今でも体育会系には残っているかもしれないが)温情とはそんなものであり、それだけの想像力しかなかったのだろう。

「死ぬ前に女を抱かせてやれ」というのでは、「仁義なき戦い」で敵対する組の親分を殺しにいくことを引き受けた主人公に金を渡し(一度、金庫から金をつかんで出し少し戻すところがせこくていい)「これで思いっきり遊んでこい」という山守親分と同じレベルである。

それでも主人公は娼館に出かける。玄関口で勉強しているセーラー服にもんぺ姿の少女(大谷直子)に惹かれて上がるが、出てきたのは膝に三里の灸の跡がある春川ますみである。アイツはますます落ち込むことになる。

だが、いろいろないきさつがありアイツは少女を抱く。その瞬間にアイツは叫ぶのだ。「これで死ねる。キミのために死ねる」と─。

……娼館の破れた番傘をかけたドラム缶が海に浮いている。ドラム缶は魚雷にロープでくくりつけられている。もう8月15日である。真夏の太陽がアイツに照りつけている。

カットが変わると現在(昭和43年)になっている。若者たちが海水浴を楽しんでいる。水上スキーのビキニの女性が沖を滑っていく。その波に揺られてドラム缶が浮いている。その中には骨になったアイツが……

映画はそこで終わった。

少し前のことだが「戦後56年、日本はひとりも戦争による死者を出さず、ひとりの敵兵も殺さなかった、そのことを世界に誇るべきだ」と筑紫哲也が言っていた。同感だ。

1945年から2001年までの間にアメリカが何人の国民を戦争で犠牲にし、何人の敵を殺し、何人の非戦闘員を殺してきたか、ブッシュさんは一度でも数えたことはあるのだろうか。
ないだろうなあ。

■2001年8月10日号

十河 進【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、編集者として過ごす。現在は、管理部門に勤務。

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筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.0913   2001/08/10.Fri.発行より転載
「日刊デジタルクリエイターズ」サイトにバックナンバーはすべて掲載しています
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