118いい輪
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04/08/06掲載

十河 進

夢が叶う場所

●人は仕事の中にも新しい夢を見出す

甘っちょろいと思われるので,僕はどちらかというと安易に「夢」を語ることを避けたいと思っている。もちろん、いい歳をして照れくさいし、青いと思われるのも厭だ。もう充分すぎるほど現実の社会で生きてきたし、自分の想いや望みが叶うことはほとんどないのだと、思い知らされてもきた。

もっとも、それでも(あるいは、それだからこそ)夢にこだわり続けている自分に気付く。しかし、人は夢を語る時に「若い頃の夢」を語りがちである。たとえば「若い頃は○○になりたいと思っていたが、いろいろあって今のような生き方をしている」というように人は自虐的に語ってしまう。

人が死ぬ時に「思い残したことはないか」とアンケートをとれば、多くの人が何かを現世に思い残しているのではないだろうか。実際にアンケートをとるわけにはいかないだろうけれど、「私の人生に思い残すことはない」と断言できる人は稀だろうと思う。

コレデオシマイ、と勝海舟は臨終の場で言ったと伝えられ、山田風太郎はその言葉を最も凄い臨終の言葉と評価した。しかし、勝海舟だって、自分の人生に満足して死んでいくと言い残したわけではない。

ジャコバン・ドルマル監督「トト・ザ・ヒーロー」の主人公は「私の人生は何の意味もなかった。“無”だ」と死に臨んでつぶやく。その彼にも、自分の人生に決着をつけるために思い残したことはあったのだ。

人々が思い残すこと──それは、若い日に夢見たことなのだろうか。しかし、70年生きるとして彼が若い頃に夢に見そして諦めた、あるいは実現できなかったものに比べて彼が多くの時間を費やしてきたのは自分の仕事だったはずだ。

僕も今までの人生で最も時間を費やしてきたのは仕事である。その仕事には目標がある。それは、達成すべきものであり、個人的な夢とは違うかもしれない。しかし、今まで僕は自分で満足できた仕事をしたことはないし(常に何らかの反省や制作上の障害があった)その成果に充たされたことはなかった。それでも、今度こそ、と思いながら、もう30年近く本を作り続けてきた。

それだけ長くやっていると、個人的な夢とは別に仕事の中でも夢は生まれてくる。自分の作った雑誌が多くの人に支持される夢であり、自分が作ってみたい夢の雑誌だって思い浮かべる。人はそうした夢や希望を喪ってはおしまいなのだとも思う。

人はいつ“夢”を持つのだろう。“夢”とは、生きる目的だ。人は生きている以上、何かをしなければならない。「何もしないで生きていく」というのも、実は「何もしないこと」をしながら生きていくことなのであるから、それもひとつの生きるうえでの夢なのだ。

子供の頃はヒーローになりたいと思うかもしれない。少し世の中がわかってくると職業的な夢を持つだろう。野球選手になりたいとか、タレントになりたいとか、である。成人になり、実際に世の中をどうやって生きていこうかと見渡す時、人は自分の夢になるべく近い所を選択しようとする。そして、夢に近づこうと努力をする。

あるいは、自分がやりはじめた仕事の中で新しい夢が生まれてくる。その仕事の成果が上がることを目的にして努力する。それもひとつの夢ではないか。ひとつの仕事を仕上げ、その仕事が世に認められた時、あるいは成果を上げた時、人は深い達成感に充たされる。それは夢が叶った満足感・充足感に他ならない。報酬だけではなく、人はそうした達成感や充足感を求めて努力するのだ。

しかし、一度、夢を叶えた人間が、それを持続していくのはむずかしい。特に仕事は不断に続いていく。ある時に達成した仕事はもう過去のものであり、新しい仕事の成果が求められる。そうして、人々は夢(目的)に追われ、疲弊していくのかもしれない。それでも、叶え損なった夢は人の想いの中に残り続けるに違いない。

まして、夢に手が届きそうなところまで到達しながら、とうとう夢を叶えられなかった、完遂できなかった人間が臨終の場に「思い残す」想いはどれほどの重さだろうか。

●強制的に夢を中断された人々の想い

シューレス・ジョーと呼ばれたジョセフ・ジェファスン・ジャクソンは、114年前に生まれ、20世紀の後半が始まった年、つまり1951年の12月に死んだ。彼が死んだ時、僕はまだ首も据わらず寝返りも打てない寝たきり赤ちゃんだった。

1919年、まだ白人選手しかプロ野球ができなかった頃、アメリカのワールドシリーズに絶対優勢と言われたシカゴ・ホワイトソックスが出場する。しかし、初戦はまさかの惨敗。そのままシンシナティに負けてしまう。

そのあっけない敗北は「八百長」の噂を生んだ。翌年、コミッショナーはシカゴ・ホワイトソックスのシューレス・ジョー・ジャクソンを含む選手八人を永久追放にする。その時、裁判所から出てきたシューレス・ジョーに向かって叫んだ少年の言葉はアメリカ中で知らぬ者のない伝説になった。

──嘘だと言ってよ、ジョー。

このスキャンダルは「ブラックソックス事件」としてアメリカの歴史に残る出来事になった。10年以上前のことだと思うが、この事件を扱ったノンフィクション「エイトメン・アウト」という本が翻訳出版された。

僕はその本は読んでいない。しかし、映画化された「エイトメン・アウト/EIGHT MEN OUT」(1988/119分)を見て、ほぼブラックソックス・スキャンダルの全容を理解した。この映画の最後は、確かシューレス・ジョーが田舎の球場でのびやかに野球をやっているシーンで終わったと思う。

チャーリー・シーンやジョン・キューザックという当時若手の人気俳優が出ていたにもかかわらず、「エイトメン・アウト/EIGHT MEN OUT」は日本では劇場公開されなかったはずだ。反体制派監督ジョン・セイルズは、あまりコマーシャリズムに迎合した撮り方はしないから、配給会社が地味だと判断したのかもしれない。

シューレス・ジョーの名前を僕が知っていたのは、1984年に文藝春秋社から翻訳発行されたW・P・キンセラの「シューレス・ジョー」を読んでいたからである。この本は5年後に文庫化されたが、それは人気俳優ケヴィン・コスナーの次回作の原作に決まったからだった。

W・P・キンセラの「シューレス・ジョー」は「'90年早春公開、ケヴィン・コスナー主演『フィールド・オブ・ドリームス』原作」と帯を巻かれて1989年の晩秋に文庫化され書店店頭に並んだ。帯にはキャッチコピーがこう印刷されていた。

──幻を信じれば世界をもう一度、信じられる。

●60年代カルチャーの記号に充ちた映画

「フィールド・オブ・ドリームス/FIELD OF DREAMS」(1989/107分)は、原作と大きく違っているところがふたつあった。ひとつは主人公を1952年生まれのベビーブーマー(日本での団塊の世代に近い)に設定し、その経歴を開巻直後にダイジェストで見せてしまうことである。

主人公レイ・キンセラ(原作者と同じ名前)は、大学紛争で有名なカリフォルニアのバークレー大学に在籍し、ウッドストックを経験し、フラワーチルドレンになり、同志的な結びつきで結婚した妻と農場を経営している。

もうひとつの大きな変更は原作では実在の伝説的作家J・D・サリンジャーを隠遁生活から引きずり出すのだが、映画では架空の黒人作家に変えてある。映画で彼の本が反教育的小説として槍玉に挙げられるシーンがあったけれど、あれは原作では「ライ麦畑でつかまえて」だ。

「フィールド・オブ・ドリームス」は、様々な60年代的な記号が散りばめられている。キンセラの家の壁にはアンディ・ウォーホルのシルクスクリーン作品であるマリリン・モンローがかけられているし、娘が見ているテレビにはジェームス・スチュアートの「ハーベイ」が映っている。

それに、黒人作家を初めて訪ねた時、キンセラは「おまえは60年代の人間の生き残りだな。ラブ・アンド・ピース」と罵られる。このシーン、僕は映画館で思わず大きな声で笑ったが、他にはあまり笑う人がいなかった。

この映画はけっこう評判になり「団塊の世代が泣ける映画」として推奨されたが、当時、週刊SPAは「どこで泣けばいいのだ」と本質的な疑問を提示した。まったく同感だった。この映画を60年代にノスタルジーを感じる団塊世代の「泣ける映画」として見るのは、まったくの見当違いである。

キンセラが「それを作れば彼は来る」というお告げをアイオワのトウモロコシ畑の中で聞くところから映画は始まる。彼はそれが野球場だと悟り、トウモロコシ畑を切り開いて野球場を作ってしまう。

ある夜、シューレス・ジョーがフィールドに現れる。そして、彼と一緒に永久追放になった七人の選手たちもやってくる。そのフィールドは夢の途中で夢を喪った人間たちの夢をもう一度叶える場所、夢を完遂させる場所だったのだ。

キンセラは、だが充たされない。「やってくる彼」とは誰なのか。彼は心の中の何かが命じるまま、アメリカ中を探しに行く。彼が出会ったのは一冊の本を書き、現実の世の中に絶望し隠遁しているひとりの作家である。彼を連れて再びキンセラは探索の旅に出る。

キンセラの元に現れる「彼」は映画の最後に明らかになるのだが、その前に重要なひとりの登場人物が現れる。彼がいかに重要な人物であるかは、この映画に登場した俳優のランクとしては最高のバート・ランカスターが演じたことでもわかる。

彼の名前はムーンライト・グラハム。大リーグのゲームに1イニングだけ守備で出て、一度もボールを捕らず一度もバッターボックスに立たず、故郷に帰り医者として街の人々に尊敬されながら死んでいった男である。

●夢の工場で作られた夢を語る夢の映画

キンセラと作家はグラハムの街に着き20年も前に死んだ老医師のことを調べるが、彼の人生が幸せなものだったことを知る。妻とも愛し合った生涯を送り、人々からも慕われた一生だった。

モーテルから外に出たキンセラは、1972年の街にタイムスリップし老医師グラハムと会う。「あなたの夢が叶う場所がある」と彼は医師に言うが、グラハムは自分の一生を肯定し、今更、かつての野球の夢を完遂させる意思はないのだと誘いを断る。

しかし、翌日、アイオワへ向けて走るキンセラはヒッチハイクの若者を拾う。野球を始めたばかりの若き日のムーンライト・グラハム、いや、まだムーンライトというニックネームが付く前のグラハムである。

グラハムはキンセラの球場で途中で終わってしまった夢を完遂させようとするが、観客席から落ちたキンセラの娘の命を救うために再び夢の境界を越え医者としての己に戻る。若く希望に燃え野球以外に何も望んでいない若者はフィールドのラインを越えた瞬間、医者の鞄を提げた信頼感にあふれる老医師の姿になるのだ。

このシーンで涙しない者は、一度も夢を見たことがない人間に違いない。叶わなかった夢が実現しそうになったその時に、彼は少女を救うために夢を棄てるのだ。その気持ちに感情移入した途端、僕は映画館で涙を流した。

彼にとって若い頃の夢は野球だった。アメリカ中を放浪し様々な場所で野球をやり、やがて大リーグに入団する。だが、彼は守備要員として1イニングだけに出場し、自分の実力に見切りを付けて帰郷し、改めて勉強をして医者になったのだ。

長い人生を医者として過ごし、人々に奉仕する、あるいは人々を救うことを誇りとして生きてきたのだ。その仕事の中で彼は新しい夢を持っただろうし、使命感もあっただろうし、人の命を救った時には充足感を感じただろう。妻と愛し合い、小さな街で全体的には穏やかな人生を送ったのだ。

彼が野球を途中で諦めてから死ぬまでには50年の時間が過ぎた。だが、あの時、一度でもバッターボックスに立てたなら…という想いが浮かんでくることはあっただろう。その夢が叶うまさにその時に、彼は医者として求められている自分を自覚するのである。

夢の工場で作られた夢を語る夢の映画は、どこまでも現実にはない夢を描いてくれる。ラストシーン、「フィールド・オブ・ドリームス(夢が叶う場所)」を求めてアメリカ中からやってくる車のヘッドライトの列を空撮したショットは美しい。

だが、現実の世界では「みんな夢の途中」なのだと、映画館を出ると改めて思い知らされる……。

■2001年10月19日号

十河 進【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

二十世紀半ばに生まれる。大学卒業後、某出版社に入り、編集者として過ごす。現在は、管理部門に勤務。

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筆者および「日刊デジタルクリエイターズ」編集部の許可を得て、
【日刊デジタルクリエイターズ】No.0952  2001/10/19.Fri.発行より転載
「日刊デジタルクリエイターズ」サイトにバックナンバーはすべて掲載しています
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