■ 時々刻々『平成14年3月23日 慶応義塾大学卒業式』


卒業式の報告(以下に掲載)
卒業式の映像報告
卒業25周年記念パーティーの画像報告

時々刻々『平成14年3月23日 慶応義塾大学卒業式』
砂田薫 記(文学部卒)


午前9時00分 
それにしても、なんて気分のいい朝なんだ。東横線の車窓からも、そこかしこに桜が見えていた。
例年にないこの時期に満開の桜、「祝ってくれている」と微笑んでいたのは僕だけではないだろう。
思えば、僕は25年前すなわち昭和52年3月の卒業式には出席していない。当時入社を控え、実家の大阪で「3週間で取得できる普通自動車免許コース」で通っていたのだ。さかのぼり昭和48年4月に予定されていた入学式も、学園紛争の最中、学生達に封鎖されて 執り行われていないのは共通。
個人的に、なんとも、けじめ・しまりのない「始まり」と「終わり」の大学生活になってしまったと自戒もしていた。 それゆえ人並み以上に今日のこの日には特別な想いがある。


卒業式は10時から、しかし一時間前には日吉記念館にすでに到着。学校から校章の入った皮製の小物やペナントなどの記念品を受け取り、「卒業25周年生」の塾員として2階スタンド席に誘導される。2階席のほぼ中央、2列前に席を確保でき、1階を眺める。左奥ソデでは学生服を着た応援指導部吹奏楽団の面々が、音を小さめに演奏のリハーサルを始めている。主役の今期卒業生はまだまばら、いやがおうにも演台中央奥の三色旗とその右の福沢先生肖像画に目が移る。 それにしても相変わらず、なんてリラックスしてるんだろう。和服ですーっと立ち、肩に力みなく腕組み、僕も人に与える印象はこうありたいものだと思う。
ところで、大学卒業25周年で学校招待という儀式は、他大学にはないと聞く。いつから慣行となったか知らないが、四半世紀を総括するチャンスを与えてくれる母校というのはありがたい。

午前9時30分
118期生の陣取る2階席は8割埋まり、一方1階の学生組は、3割にも満たず、空席が目立つ。考えてみれば、大学卒業後、急に「ナンバー」は消える。大学4年生という呼称の後は、会社に入れば「入社1年生」くらいの呼び方はあっても6年経ち、12年経つなどすると全く会話から数字が消える。加えて女性は特に「年齢」という数字にはナーバスで、自分からは「年」を持ち出さなくなり、余計オフィシャルな数字が消える。そうこうしていると自分のことより、「子供が○年生になって大変だ」「親が75歳になり、介護が必要」というような会話になり、自分にまつわる「数」は姿を現わしにくくなる。そんな中、長い沈黙の中からいきなり「25年」という数字の意味をそれぞれに突きつけられたというのが、一般的な感慨・印象ではないかと思う。

午前9時45分
ほぼ満席の2階席に陣取る同期のみんなを見回してみた。1300名近くの「25年生」が集まったのは壮観だ。
それぞれ別々に25年を戦った戦士の人生が、確かに今ここに集結している。僕なんか、心理学専攻で16名定員の小所帯、しかも授業に出ていなかったし、勤務も大阪に長くいてその後3年半シンガポールといった具合で、大学時代の知り合いとの卒業後の交流は少ない。しかもGerontology(加齢学・老人学)の研究成果で明らかなように、「人は齢(よわい)を重ねるごとに、個人差」が出る。体型や風貌がお互い変わるうえに忘却もあり、当時のちょっとした知り合いなら、ほとんど識別できない状況になっていた。

午前10時00分
1階の新卒業生の主役達は、定刻を超えてもダラリダラリと席につき、まだざわめいている。9割がた着席しているが開式のスタートが切れる段階でもない。一方「卒業25年生」はどうだ、空席がないほど埋まり、神妙かつ落ち着いて、ことの進展を見守っているという雰囲気、つまり「いつでも進行どうぞ!」という準備OKの心境だ。この違いこそが、最も大切な時間を生きてきた世代と、時間の重要性がまだぼんやりしている世代とのギャップかもしれない。

午前10時07分
突如「若き血」の吹奏が館内にこだまし、、来賓の入場が始まった。安西塾長を始め26名前後が着席した。全員男性で世の中のデモグラフィーを反映していなく、ちょっぴり残念に思った。今年は通信学生を含め、6538名が学舎を巣立つという。

午前10時40分
学事報告や、学位記・表彰状授与が順調に進められ、安西塾長の式辞が始まった。「入学式を不幸にも挙行できなかった25年を迎えられる先輩諸氏が2階に出席されている」と紹介された。新卒業生に贈る言葉は温かい3つの励ましだった。すなわち、現状を把握し、正しい見通しをするという意味で「理念」を持つ。144年の慶応の歴史を踏まえ、独立自尊よろしく「信念」を持つ。志を保ちながら独善的になることなく「勇気」を持つということだ。結びは福沢先生の漢詩「人生すべからく、かくあるべし」が紹介され、21世紀の大海原に「理念」「信念」「勇気」をもって堂々と航海に出てほしいと述べられた。この言葉は新塾生だけでなく、広く現代を生きるものの使命とも思えた。

午前11時30分
塾員代表祝辞、送辞、答辞、塾歌斉唱の後、特別メニューとして僕たちのために昭和48年4月にできなかった「入学式」(のようなもの)が行われた。慶応の長い歴史の中でも「入学式」ができなかったケースは他には一度もなかったようだ。安西塾長の「卒業25年目に行われる入学式、誠におめでとうございます!118期の皆さんの入学式と、満開の桜は偶然とは思えない」の祝辞には、多くの仲間が10代の自分に一瞬戻り、感動したに違いない。義塾の配慮に素直に感謝したい。

午前11時45分 閉式
続いて三田会結成式が行われた。塾員が25万人もいることを知った。

午後12時10分
二幸食堂で25周年祝賀記念パーティーが開かれる。安西塾長の挨拶に、「こんなに1200名規模の多くの塾員に集まっていただけたのは新記録。昭和48年には6265名の入学をみた」とあった。僕の知る限り、海外からもバンコクやメルボルン、国内でも北海道や広島から駆けつけたという仲間がいた。今回の参加の意味は「自分探し」というよりもう少し踏み込んで、「自分再発見」や「自己総括」、あるいは何かとの「決別」や何かへの「決意」で出席した仲間が多かったのではないか。今日の感動をこれからの人生に活かしていきたいと思う。


以上

 

 

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